2012年9月30日日曜日

拙者、ヘラルドでござるよ!!

まず冒頭で世界的に有名なメインストリーム協会のブログを書く大変貴重な機会を与えてくださったことに対して、感謝申し上げます。

改めまして今年のJICA「中南米自立生活」でボリビアより参りました、ホセ・ヘラルドと申します。

娘に会えないのが寂しいです


私は1974年にボリビア南部のタリファ県で生まれ、1歳の時に小児麻痺を発症し、障害を持つことになりました。小さい頃から首都ラパスやアルゼンチンへリハビリに行きましたが、効果はありませんでした。地域の有力者への働きかけにより、なんとか普通学校へ行く事ができました。
県の障害者委員会で働いた後、今は障害者の社会参加や社会の障害に対する意識改革を推進していくために教会で働いています。
13年前に8歳上の看護師の女性と結婚しました。現在娘が2人います。姉さん女房とうまくやっていくコツは、常に対等な関係を心がけておくことです。

日本のウイスキー
山崎12
RICO


9月28~30日は藤原勝也さんの家でホームステイしました。
藤原さんはみんなから「かっちゃん」という愛称で呼ばれています。私もかっちゃんと呼びたいと思います。ちなみにかっちゃんのお父さんも名前に「克」(かつ)という漢字が使われていて、「かっちゃん」という愛称だそうです。


かっちゃんは筋ジストロフィーという障害で、人工呼吸器を使って生活しています。弟2人も同じ障害だそうです。13年前に西宮にある関西学院大学進学をきっかけに一人暮らしを始めました。

私は最初、正直言ってかっちゃんが一人暮らしをしているというのは信じられませんでした。本当に体は大丈夫なのか、どんな生活をしているのかドキドキしながら事務所から家へ向かいました。どう考えてみたって病院で入院している人にしか見えません。ボリビアでは想像できません。

かっちゃんは仕事でたくさん海外に行った経験があります。2週間前にもモンゴルへ行っていました。世界一の筋ジスに間違いはなかった!!



しかし、アシステンテに指示しながら、私の寝床を用意してくれたり、ご飯を作ってくれたり、お風呂に入ったり、ベッドに移ったり、普通の人と同じ生活をしていました。かっちゃんは24時間介助者がいて、さらに入浴の時は二人目の介助者もいます。

ちゃんと介助制度とかがあればどんな重度な人でも自立生活ができることを実感しました。先週のホームステイ先の畑くんだけでなく、医療機器が必要な人も一人暮らしができる、日本はすごいな。

障害者運動について熱く議論しました。


夜遅くまで日本やボリビアのことについて話しました。通訳がいるときは障害者運動などについて深く議論し、そのあとはグーグル翻訳を使いながら音楽や文化などの話をしました。

気がつくと、、、

時間経つの早いな~


40年以上の障害者運動を経て重度障害者が自立できるようになったという話を聞いて、私もボリビアを変えるべく第一歩を踏み出さなければならないという思いが強くなりました。何十年かかるかわかりません、社会や障害者自身の意識を変えるところから始めて行きたい。

まだまだ時間はあります。酒を酌み交わしながらみなさん夜遅くまで話しましょう!!Voy a hablar mucho!!

¡hasta mañana

2012年9月20日木曜日

オラ!コロンビアのアンドレスと申します。

オラ!
私はコロンビアから来ましたアンドレスと申します。
 
アンドレスでございます。

1973年生まれの38歳であります。
職業は弁護士をしております。

とまぁ、職業柄お固い感じになりましたが、ここからは無礼講でいくぜ~。

先週から、えーーっとJICA地域別研修「中南米地域 障害者自立生活」。うーん、長いから「中南米研修」でいいか~、この中南米研修の5年目がスタートして、僕達6ヶ国から7名の障害者と5名の介助者が日本に来たんだ。
そして、今日から順番にこのブログで僕達の自己紹介(?)をするんだけど、そのトップバッターが僕ってことになったんだ。

さて改めまして、僕はアンドレス・フェルナンドって言うんだ。
みんな去年来たアンドレスって覚えてるかい?
ちょっと髪の毛の…、そう彼のことさ。

覚えてるかい?by去年のアンドレス

彼とは同じアンドレスだけど、コロンビアでも彼とは友人なのさ。
そして、今年は僕が日本で研修を受けることになったのさ!

ここはすっごい面白いところだね。
来て早々にメインストリームの皆の前で、自分の歴史「自分史」ってやつの話をすることになったんだ。

さーて、何から話しようかな?
ちなみに隣のイケメンは介助者のエドウィンだぜ。

こんなにいっぱい人が来てくれたぜ。

知らない人もいると思うんで、もう一回紹介するぜ。
僕はコロンビアのカリって街に生まれたんだ。すっごいいい街なんだ。
って話したらさ、なぜかセニョールシモジとセニョールマモルが笑ってるんだ、なんで?

それはさておき、僕の障害はケイツイソンショウ(頚椎損傷)っていう障害で頚椎の5番,6番をやられたんだ、って言ったらわかるかい?メインストリームにも同じ障害の人がたくさんいるみたいだね。
僕が障害者になったのは、24歳の時さ。
僕は近くの村のFiesta(祭)に行って帰ってるときに、自動車事故で受傷したんだ。

でも実は、その前から障害者についてのプロジェクト(四肢マヒ者の移動手段についてのプロジェクト)に関わっていて、頚椎損傷の友達がいたし、結構早く障害を受容できたと思うんだ。
でも、家族はそうもいかなくてさ…
いろいろ大変なこともあったんだけど、今は元気に暮らしてるよ。

さて、僕はちっちゃい頃は良く言えば活発、まぁ悪く言えばめっちゃやんちゃな子供だったんだ。

どうだい、やんちゃな赤ん坊だろ~!

男子校に通ってて、ボーイスカウトをしててさ、いっぱい遊んだし、スポーツもしたし、海外にもメキシコ、コスタリカ、ホンジュラス、パナマといっぱい行ったことがあって、すごい毎日楽しんでたのさ。
さらに高校の時には1年留年したついでにイギリスに留学してさ、その時もいろいろ人に言えないような事もやってたな~…

後ろの写真見えるかい?
若いころの僕さ。

障害者になってからは、リハビリでキューバに3ヶ月いったり(これがすごいお金がかかったんだけどね…)、その後帰ってきて3人で共同生活を初めたり、その仲間で酒屋をしたり、その酒屋で知り合った女の子とつきあったり、いろいろあったんだ。
そして、障害者になるまでは経営の勉強をしてたんだけど、障害者になってから法学を勉強し始めて5年勉強して弁護士の資格をとって今に至る、って感じだね。ちなみに今の彼女とはもう7年付き合ってるんだけどね。
そして、今は親の家を譲り受けてその1階で暮らしていて、住み込みのマルセラという子に介助してもらってて、2階は賃貸してるんだ。

さぁ、僕のことはわかってくれたかい?
それじゃあ、話を日本に戻そうかな。

自分史の前には研修生みんなでグループILPというのをやってさ、自分たちだけで神戸に行ったんだ。
日本の交通機関は素晴らしいし、仲間意識が芽生えたし、とてもいい研修だったぜ。

中華街でパチリ!
そして、月曜からはついに本格的な講義が始まったんだ。

おお、カドタさんの講義中。

講義中だけど、写真を向けられたら見ちゃうぜ。

まだ、講義は少ししか終わってないけど本当に今までの考えが覆った、っていう感じがするんだ。
これからもっと「自立生活」について研修していきたいと思ってるぜ。

そして、同じ日から一人暮らししている障害者の家にホームステイが始まったんだ。
まずは、セニョールシモジの家にホームステイだ!
「オコノミヤキ」という日本の食べ物を振る舞ってくれたんだ。

おお、これが日本の「OKOMNOMIYAKI」!

ホームステイしてわかったんだけど、セニョールシモジとはなぜだかめっちゃ親近感がわくんだ。
何かと似たところがあってさ、例えば…
①頚損で障害の程度も似ている
②車の事故で頚損になった
③若いころはかなりのやんちゃだったようだ
④オンナ好き!

ちょいワルオヤジの二人(僕は意外と若いんだけどね…)

やっぱり似たもの同士話が弾んでしまうんだよな~。

何の話してるんだかね~…

そして、介助を使う生活っていうのもすごい興味が湧いて、ついついセニョールシモジの風呂介助まで全部見ちゃったぜ!シモジのすべてを見てしまったぜ!

まだ、これから約1ヶ月研修が続くんだけど、ほんとうに楽しみなんだ。体力はちょっと大変そうだけどね。

日本のみんなこれからも宜しくな!

 

2012年9月2日日曜日

カンボジアからソクサバーイテ?(元気ですか)ボッパちゃんとサミスからのメッセージと、ニュース映像

カンボジアから(帰ってきましたが)ソクサバーイテ?
ざっきーです

ミニTRYやセミナーはカンボジアでもニュースで取りあげられました
ミニTRYの映像だけ手に入ったので載せてみます
カンボジア語ですが
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サミス、ボッパちゃんからの、皆へメッセージです☆
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今回カンボジアに来て、すごくうれしく思った事が2つありました。
1つが、
修行研修の時、私は介助者でした。
重度障害者が事務所に来たら、介助者がいないので、何人もお風呂にいれたり、トイレ介助したり。
それが嫌だったわけではないし、昔のイベントを思い出して懐かしいなと思っていたのですが、介助者がいないという現状には、少し寂しい思いをしていました。
私が帰ったあとも、こうして重度障害者が泊まりにきたり、事務所に来て遊びに行ったり介助してくれる人がいて欲しいなと感じていました。

今回、到着した日。当日からのセミナー、次の日のミニTRYのため、いつものように重度障害者が泊まっていたのですが、パーティーが終わって、さあ重度障害者がお風呂に入る時間かな?って思っていたら、介助者をしているサミスの妹のロットちゃんや、他の女の子から「大丈夫です。ザッキーさん休んでて」と言われました。
そして、重度障害者の人たちと介助者の人たちの間には信頼関係や、仲良く話す姿がありました。
もちろん滞在中、手伝う事はあったけど、そういった姿がすごくすごくうれしかったです。
そして、何人にも「カンボジアの障害者の為にがんばってくれてありがとう」と言われました。
障害者の事を理解して欲しいと話した相手から、こういわれる事に最初驚いたのですが、
こう話す人たちが、これからカンボジアを変える人へとなっていくのかな。いけたらいいなぁと嬉しく思いました。

現在プノンペンCILではボランティアの介助者が7人います。
学生がほとんどですが、女性介助者としてスタッフになってもいいと言っている人もいます。
そして、先日も書いた、頸椎損傷で介助が必要なニャップさんの自立計画。
まだまだこれからですが、カンボジアも変化していってます。
楽しみです。

そして2つめが、スタッフの仲のよさと仕事への取り組みです。
前は、夕方にはみな帰ってしまってたのが、
もともと夜中までいたサミスに加え、近くで自立してて、用事があるときなど遅くまてま残ってたボッパちゃん。
そして、事務所に住むティラちゃん。
それに加えて、近くで自立を始めたロットナさん、平日だけ事務所で自立生活始めたソファラが加わり夜遅くまで話しこむことも増えたそうです。
夕方になると、晩御飯の準備が始まり、昼ご飯も皆で作って食べます。朝は作るか近所で買ってきた物を何人かで分けて食べ、相談もしあえて、みな連帯感があります。
何かある時はすぐに土日に、出勤もできるようになって、遊びにいくとなると、皆で行く事もすぐにできるようになってました。
遅くなれば、事務所に泊まればいいから!って

皆が楽しそうにイベントをやっているのが、嬉しかったです。

前より元気にパワーアップした、プノンペンCILの今後の活躍が期待できそうです。
目下の
目標は、政府との関係作りと、スポンサー探し。イベントにも、介助プロジェクトにも、
あと、次の日本からくる研修旅行の中のアンコールワット行きには、日本人と共にスタッフ、そして、一度も行った事がなく、そしてこれからも行けるかどうかわからない重度障がい者達を連れて行きたい。
まだまだやりたい事があってお金がいるんです。

がんばれ!プノンペンCIL。

*おまけ
ロットちゃんからのみんなへのメッセージ(サミスの妹。大学生でプノンペンCILのボランティア介助者。イベントに友だちをたくさんつれてきてくれます。日本語学科で日本語勉強中。)


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2012年9月1日土曜日

カンボジアからソクサバーイテ?(元気ですか?)ボッパちゃんのダスキン日本研修&

カンボジアからソクサバーイテ?ざっきーです

29日にボッパちゃんのダスキン日本研修の報告会&自立セミナー「障害者の結婚•恋愛」がありました。

いろいろな所に宣伝して、大学からもバスで17人きてくれたり、日本から来ていた大学生も参加してくれ、重度障害者8人いれて、合計70人ぐらいになりました。


ボッパちゃんの、講演


日本のバリアフリーや、制度に興味持ってくれました。
質問にはボッパちゃん日本で彼氏できた?なんてのも










学生もいっぱい











畑の自立生活ビデオをみながら日本の介助者制度について、私から説明。

他団体の人も来て、熱心に質問してました。

続いてグループディスカッション。3つのグループに分かれて、話します。
順番に1、2、3と番号を言っていき、別れていきました。

①障害者の結婚
②介助制度
③障害者の事

それぞれ細かなテーマが3つあり、話しあいます。内容は、日本では??な感じのもありますが、まだまだ差別とは何か、障害者の理解がいきわたってないカンボジアならではです。



1グループ 「障害者との結婚」


第2グループ「介助者制度」

①障害者の結婚
1.なぜ健常者は障害者と結婚したがらないか
2.障害者は家族が作れますか?
3.障害者と健常者の結婚のとき、健常者の親が反対することについてどう思いますか 
第3グループ 「障害者のこと」





②介助者サービスシステムについて
1.介助者というシステムはどんなシステムですか?
2.介助者というシステムを作る必要があると思いますか?
3.介助者になりたいですか?なぜなりたいですか?






③障害者のこと 
1.障害者は悪いですか?なぜですか? 
2.差別というのはどんなイメージですか?
3.移動•外出





ディスカッションのあと、学生から、グループのまとめの発表がありました。

カンボジアのディスカッションは面白い。テーマがすごい。そして学生は思った事を結構そのままいう。
日本の一般的な学生のように、これ言ったらだめでしょ?っていうのを隠したりしない。
 例えば「なぜ健常者は障害者と結婚したくないのか?」というテーマがあったが、そもそも結婚したくないとテーマが決めてしまっている。
質疑応答も

そして、日本だと実際そうかは別にして、質問の答えにまず、「好きになったら結婚できると思う。」「結婚できないことはないと思う」とか前置きがつきそうだけど、カンボジア人はストレート。「家事ができないから」「仕事から疲れて帰ってきて、介助ができない。時間がない」「何もできないと思われている」「多分、健常者親から反対されて、結婚したあとも悪く言われている

障害当事者からも質問


うちに、だんだん健常者の方が親と同じように障害者の人と結婚した事が嫌になんって別れてしまうから」「「連れて歩いた時、他の奥さんをみたら、あの奥さんはきれいだけど、自分の奥さんは障害があるなあと思ってしまうから(女性から)」
カンボジアの厳しい現状です。
パネルディスカッション
右から、サミス、ボッパちゃん、ロットナ



ただ、「介助制度は絶対必要だと思う!」とみなが答えたり、「社会的に誰でも権利があるから誰でも結婚できるし、家族を作れる。」という答えもありました。
スタッフが話す、パネルディスカッションでは、「今カンボジアの障害者の状況は問題が多くて大変です。
第1グループで応えたのは社会の障害者のイメージだけです。
障害者の現状の問題を見つけてこれから解決する方法を探しましょう。」
と話しました。
がんばれプノンペンCIL!

障害者は環境で大きく、生活は変わると思います。
もちろん、障害者の事を伝え、障害者の権利、人権、障害者も健常者と同じよう人間だという理解も必要。
でも、軽度障害者は、多大な努力で補える人がいても
多大な努力が発揮できない環境の人、特に重度障害者は介助なしの努力だけではなんともできません。
障害者が障害者であるという事は個人の責任はなく、社会の問題としてとらえて皆で考え、社会が変わって、障害者も住みやすい社会を作っていけたらいいなと思います。例えば、バリアフリー、例えば理解から来る配慮、例えば介助制度。
介助制度は、重度障害者がやりたい事を実現できる。やってもらうだけでなく、自分でやりたい事をやることがきる。
人として誇りが持てる。
いろいろな実現ができる。
そうなれたらいいな。

今回のセミナーで、カンボジアの人は、介助制度はいいと思うし、自分たちの国でも、できたらいいなと思う。やっていきたい。
新しい考え方を取り入れたい。カンボジアを変えて行きたい。
カンボジアが変わって行った時に、それに若い自分達が関われたら、かっこいいと思うと言っていました。
若い力って強いな。期待がもてました。

次はサミスの奥さんマリカさん。「なぜ障害のあるサミスと結婚したのか」
サミスとの、結婚前のデート写真、結婚式の写真をみせながら話しました。
マリカさんの発表。
髪の毛をセットし、着替えてきました☆
時間がなくて、短くなってしまったのが残念でしたが、みな拍手の講演でした。
結婚前、友だちからも、周りに人からも障害者と結婚すると大変だよと言われたが、
今まで大変だと思った事はない。ただ、勘当されて家族に会えない事だけがつらい。子供も会わす事ができない。
何度も話しをして、母親は分かってきてくれた。父親が全然。これから話していきたい。
この2人とゆうちゃんはずっと一緒。
いつもラブラブ。
1年前の研修の時も、今見てもいい夫婦で家族です。
一緒にいても、サミスが差別されたら、マリカさんは怒るし、障害者の権利が守られてないという。
いつも一緒にいたいし、少し離れたらすぐに電話している。
無理せず自然に結婚生活を楽しんでるように見える。 
結構、人がうらやむ仲良し夫婦です☆


幸せな家族写真の披露













みんなで記念写真
 時間がおしおしで、プログラムにあった、重度障害者当事者からの話、
実際にカンボジアでボランティアの介助している介助者の話しができなかった。
普段こない人もたくさんいたし、結構大事なプログラムだったのでかなり残念!
次!次こそ!

車椅子だらけの車
こないだ支援したばかりの車です。
役立ってます