日本のみなさん、こんにちは。日本は今は夕方の4時過ぎですね。こちらは日付が変わって夜中の1時過ぎです。私以外の3人はとっくに爆睡していて、井上さんの歯ぎしりの音がキリキリ鳴っています。結婚してるから正確にはセニョーラなのに、どこに行ってもセニョリータ(お嬢さん)と言われて喜んでいるうさみです。まだまだいけるね~!!
バタバタと始まったホンジュラス滞在も、いよいよ今日が最終日。今日は盛りだくさんの一日でした。
今日の最初の予定は、ケンシーさんが住んでいるDanli市に行って、どんな活動をしているのかの視察から始まりました。このDanli市は、テグシガルパから車で1時間半のところにあるため、いつもよりも少しだけ早めに活動開始。
朝7:30にホテルを出発する予定だったのですが、ケンシーさんが道路を占拠されたことでの渋滞で到着が遅れ、ホテルを出発できたのが8:00でした。
行きは、トヨタのカローラ(紛らわしくてごめんなさいね)に、助手席に廉田さん、後ろにカローラ親子と私の3人でした。この後ろの席、お尻の大きいホンジュラス人二人が乗っているため、とても狭くて身体が痛くなりました。つらかった…。
でもそのつらさに負けずに、爆睡してしまったのでDanli市までの道中がどんな景色だったのかは
分からないけれど、廉田さんの話では「なんもない。途中に宿場町らしきものがあったけど、ぜんぜんアカンわ」ということでした。
アップダウン激しい山道 |
1時間半後Danli市に着くと、まずはリハビリテーション病院に行きました。そこにはケンシーが日本に来られるようになったきっかけを与えてくれた所長さんがいました。彼女が書類をホンジュラスのJICA事務所に送ってくれたから、ケンシーは日本に来ることが出来たそうです。
そこは入院設備の無いリハビリ病院で、地元の人だけでなくDanli市のある県全体から患者さんが来ていました。長年ここでセラピストとして働いているおばちゃんと2人と、男前の理学療法を勉強している学生がいました。ただ、診療室はカーテンで仕切られているベットが何個もあって、あんま屋さんみたいな雰囲気になっていました。
イケメンPTの卵!ロミオ&ジュリエットに出てくる、ジュリエットの いとこをやっている俳優に似てるんだけど名前が出てこない…。 |
理学療法室 いろんなリハビリの道具がありました |
これ!あんま屋さんみたいでしょ!?ベットの上にはハンディーマッサージ器も あったので、中身もあんま屋さんみたいでした。 |
子どものリハビリもやっていて、ダウン症や脳性麻痺の子どもや、水頭症と二分脊椎の子どもがリハビリを受けていました。この水頭症の男の子は、ホンジュラス版の24時間テレビの今年のマスコットらしくて、街ではちょっとした有名人みたいでした。みんなで一緒に写真を撮ろうとしても怖がってしまってみんなで撮ることは出来なかったのですが、何とか二人で撮ることは出来ました。かわいかったよ~。
これがホンジュラス版24時間テレビの募金箱。ちなみに今年は12月10~11日。 |
その後は病院の近所の公園で、ケンシーさんのグループが手作りパンを売っているということで行ってきました。骨形成不全の女の子や、脳性麻痺の男の人などがパンを売っていました。
ケンシーさんの団体は昨日訪問した脊損協会のDanli市の支部で、メンバーは障害者10人健常者2人で、その内聴覚障害が二人と知的障害が一人です。ケンシーさんの自宅を事務所にしていて、そこを改造してパンを作って販売しているそうです。
ホンジュラスのミニ祭り |
ケンシーさん達のパンのブース。かわいい女の子が売っていましたよ |
蜂の巣入りの蜂蜜。おいしかったよ~!何に使おうか迷っちゃうね! |
その後、近くにあるケンシーさんのお家に行きました。街の中心地から車で10分くらいのところだったのですが、車で10分も走るとそこには何もなく、道もガタガタでおまけに坂道、とても不便そうでした。普段、ケンシーさんは街に出るときはタクシーを使っているそう。ケンシーさんの団体のメンバーがパンを作りに来るときは、バスを使ったり歩いてきたりいろいろみたい。でも、ここのバスは車イスでは乗せてもらえないみたいで、人が少なかったら乗せてもらえるみたいだけど、人がある程度乗っていたら乗せてもらえないみたいで、始発の停留所付近から乗る人しか実質は乗れないみたい。
自由に障害者が外に出られるようになることが自立生活運動の第一歩!そこから活動の幅がグッと広がっていくので、ぜひぜひ運動してバスが自由に乗れるようにして欲しいものです。頑張れ!
Danliのメンバー!!
ケンシーさんがどんな活動をしているのかゆっくり聞くことができました |
ファミリア・デ・ケンシー 左上がお母さん その隣が妹 手前の左がケンシーさんその隣にいるのが息子さん |
みんなで記念撮影。いいお母さんでしたよ~、ケンシーさん。 |
その後は、SOS子ども村に行ってきました。ここは、身寄りのない障害児や障害者が暮らす施設で
、親がいてもきちんと養育していない場合には裁判所命令でここに連れてこられるみたいでした。
ここに来て4年になる女性に「ここで暮らしてみたどうですか?」と訪ねたら、「ここは、屋根もあるし毎日ご飯が食べられるので嬉しいです」と言っていました。さらに「自由に外に出ることは出来るのですか?」と聞くと施設職員の顔を伺いながらモジモジ。職員が「あなたが思うように答えてごらん。」と促すと、やっと答えてくれるというような感じでした。日本でも施設の職員に気を遣いながら暮らしている障害者は大勢いて、施設の構図というのはどこの国に行っても変わらないと感じました。
雨風がしのげて、ご飯が出てくるから幸せ。と言っていた彼女。ここでの問題は障害があるなし以前に根本的に問題がある国だと思い知らされました。
ここで一つネタが…。男盛り、独身!佐藤聡がここに住んでいる36歳のパウリーナさんに求婚されていました。「私、あなたが大好き!あなたのためにご飯も作るし掃除もするわ!だから結婚して!」と告白されていました。それを見ていた廉田さんも「ぴったりやん!佐藤君!よかったな~」と祝福していました。おめでとう佐藤さん!
右がパウリーナさん36歳。左が佐藤 聡君43歳。 |
あんまりゆっくり話をすることは出来なかったのですが、高校を卒業したら大学に行ってコンピューターの勉強をしたいと言っていました。実際に彼が大学に行くためにはテグシガルパに住まないといけないし、介助者も必要になってきます。日本人だと何の問題もなく大学に行くことが出来るのにここでは問題が山積み。今はお母さんが介助をしてくれているけれど、彼のこの先の人生をお母さんが背負うわけにもいけないし、何よりもお母さんにだってお母さんの人生があるのだから、そういう意味でも自立運動はみんなの問題として進めて行かなくてはいけないなと実感しました。日本にいるとそういう感覚を忘れてしまいそうになるけれども、ここに来ていろんなことを再認識できました。
彼も自分の人生を生き、お母さんも自分の人生を生きることが出来ることが自立生活運動の第一歩。がんばれ!みんな!
そして、今日はホンジュラス最後の日ということで、カローラさんが私たちを外のレストラン&バーに連れて行ってくれました。ご飯を食べながら踊ったり歌ったりするところで、ラテンの感じがバシバシ伝わってくるところでした。私たちは、ラテンのノリにはついていけず、11時頃には帰ってきましたが、週末のレストランは大勢のお客さんで賑わっていて、まだまだこれから!という感じでした。
奥にチラッと見えるのが ラティーノ タケチ |
今日の夜ご飯。肉。 |
最後にもう一つ。ここの運転手さんのこと。移動するときは必ずJICAの公用車で移動するのですが、そこの運転手さんが、廉田さん担当と佐藤さん担当に別れていて(たぶん自然にそうなった)
最初はぎこちなかったのですが、3日目くらいから車イスの扱いや座布団の向きなど、完璧に覚えてアテンドしていました。やっぱり介助って慣れなのねと再認識。
心強いマッチョ3人でした!また、明日も空港までよろしくお願いしま~す!
左が佐藤さん担当、右が廉田さん担当。 右の方は、パッ見、シルベスタースタローンに似ていました。 |
明日はいよいよコスタリカ。中米生活も残すところあと1週間。張り切ってコスタリカがんばろ~!!最近やっと耳がスペイン語に慣れてきたうさみでした。
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