2012年2月8日水曜日

帰国研修生の報告会

今日の顔


Buenas noches!! (こんばんわ!!)ヒロシです。
今日のブログ登板は中継ぎの勝也だったんですが、まさかの疲労困憊により急遽リリーフを務めさせていただくことになりました。
「僕の役割はブログじゃなくて、現地の皆と当事者として触れ合うこと!」
と勝也はぶつぶつ言っておりますが、まぁいいでしょう。

真冬の極寒の最中日本の皆さん、そして全国3000万のメインストリーム協会ファンの皆さん調子はどうですか?
こちらはTodos los dias (毎日)最高の天気です。
パンアメリカンハイウェイ!!

タクシー内はどよーん


今日は今回のもうひとつのメインイベントであります。帰国研修生(日本で研修を受けて帰った、未来の英雄達)の帰国後どのような活動を行ってきたのか?、 また今まさにそれぞれの国の状況はどうなっているのか?を報告してもらうその名も『帰国研修生報告会』が行われました。
みんな到着
帰国研修生軍団

今回は帰国後の彼らの活動をここでご紹介しましょう!!
チョチート長くなりますよぉ!なんせ僕がずっとパソコンでノートテイクしていたら、約20000字でしたからねぇ。もはや論文です。

AM10:00コンセホに到着し早速カドタ代表が今日の流れを説明、どの国から発表するのか決めました。持ち時間はそれぞれ1時間くらいということで、7カ国で7時間!
うーん7日くらいほしいところです。

1.やはり先頭はこの国、JICAの草の根技術支援が決まり向こう5年は安泰ですからね。
Costa Rica!! なぜか巻き舌になってしまいますねぇ。本当は巻かないらしいっす。
コスタリカ発表

コスタリカの活動はなんといっても「カロイエプロジェクト」。これによって、数々の障害者たちが地域で当たり前に暮らすための活動を、障害者自身が行い、就労開発、バリアフリー化の訴え、エンパワメント、そして自立の理念をコスタリカに広める発信基地となったわけです。
昨日乗ったバスにちゃんとリフトがついていたのも、彼らが大きな役割をはたしています。
コスタリカのメンバーの交渉なしにリフトはありえなかった。

主な活動内容は
○自立生活センターの設立
○スタッフそれぞれが自立のモデルになること。
○自立をするための費用を賄える環境を作ること。
○介助者探し、養成。
○交通アクセス改善の提案を公共交通機関や役所等に提案・要望すること。
○障害者のための法律をつくるよういろいろな啓発、交渉をしていくこと。
○障害者探し(これによってハナちゃんが町にでるという快挙をとげております。)
カロイエ

今後の動き
メインストリーム協会、JICAとともに自立生活のモデルになり、これを元に障害があっても地域で当たり前に暮らせるということをコスタリカ全土に広め、自立をする障害者を5年間で最低10人にすることが大いなる目的です。
そのためにはいろいろな取り組みが必要ですが、これをここに書いたら夜が明けちまいますのでこのへんで。

いやぁ素晴らしい。
ウェンディなんか大興奮で発表するので、もう通訳はてんてこ舞いで「時速3000キロのスピードで話してます」と、コスタリジョークを飛ばしていましたが顔は笑っていませんでした。
これからコスタリカは中南米のモデルとして活躍していってもらいたいです。
Pula vida!!(コスタリカでしか使わない「最高ぉ!」)

コスタリカメンバーの地道な運動が社会を変えます。


2.おっと2番手はグアテマラ!
ミゲル・アンヘル・アストゥリアス氏がノーベル文学賞をとったポエミィな国です。
このグアテマラもスペインのNGO?からの助成が3年で50万ユーロ!しばらく安泰です。
おまけに23人乗りのバスまで提供され、そのバスにはリフトはおろか呼吸器まで搭載されいるとか!
勝也がグアテマラに飛ぶ日も遠くない!
グアテマラメンバー

体は小人、顔はおっさんのホセ・マリアが熱心に活動内容を報告。
一度は一緒に活動する仲間が帰国研修生だけの3人になってしまったこともあり、それでもあきらめずにひたすらただ前を向いて活動した。
法人格を取らなければどうにもならないと、恥を忍んで1000ドルを助成してくれないかとカドタ代表に頼んだ時、奇跡は起こった・・・。
そう、その時カドタ代表はスロットで1000ドル勝っていたのである!!

その1000ドルを元に法人格が無事にとれ、スペインの助成金を申請することに成功。
その助成金の内訳はなんと人件費に56%費やしてもかまわないらしい。
顔真剣

しかしながら、国の治安等の問題もあり、介助者が一人暮らしの利用者のところに介助に行くというのにはまだまだ大きな壁が立ちふさがっているらしい。
ボランティアを集め、障害を持つ子供たちを家族ではなくボランティアで1日外出というイベントを行い、こつこつと自立への道を探っている。

ほかの帰国研修生の質問
「それだけの助成金があるのなら、なぜホセマリア自身が自立のモデルにならないのか?」
まさにそうであると思わざるをえない。
彼はハッとしてこう答えた。
「このプロジェクトに首ったけで、自立を自分がすればいいんだってこと本気で思いつかんかったとやぁ」
いささか着色が過剰ではあるが、本音である。
彼はこうして、自立を自分がやればいいということをこのコスタリカで学んだ。
また歴史に1ページである。

3.Republica de NIcaragua(ニカラグア)
三番手はニカラグア。いつかは行ってみたいAlegria por la vidaというマナグアのカーニバル。

左ホセ・アントニオ、右エンリケ君

ホセ・アントニオ氏が自分が手塩にかけて設立した団体アディフィンの理事の座を奪われてしまった。という信じられない大事件が実は首都マナグアで起きていた。
昔、軍の中でも抜きんでていた存在の彼がまるで、酔っ払ってオート介助モードに切り替わった時のハタのように力をなくし、切々と語る。ちょっと言い過ぎました。

ニカラグアの帰国研修生の中で自立生活運動を本気でやっているのは、ホセ・アントニオとグスタボのみである。そのことをとても気にしていた。

彼らの主な活動は介助制度の先駆けとして、ボランティアを集めることを行った。
今では大学の単位をとるために、介助ボランティアを行うといことを学校側に承認させ、多くの学生がボランティアを行っている。
あっという間に昼

何年も前から言っていたが、リフト付きのバスを首都マナグアで走らせる。ということは念願叶って、28台ものリフトバスがニカラグアの障害者の夢を乗せて走っている。

彼は言う
「理事を下され、帰国研修生の選定もうまくいっていない。しかし、これでニカラグアはだめだとは思わないでほしい。いつか私は返り咲き、必ず自立生活運動を軌道にのせる!」

4.Honduras(ホンジュラス)
さてさて後半戦突入、ホンジュラス、国名の由来はhondura(深み)を意味するディープな国。
バナナ共和国と世界で最初に呼ばれた国家。

今年度の帰国研修生セレステとクーデターを乗り越えなお活動を続けるが、なかなか実を結ぶことのできないホンジュラスで一番賢いCPカローラが発表。

実を結ばないといっても彼女たちの活動は目覚ましい、自立生活を世に広めるためパンフレットを作り、いろいろなところで講演活動を行い、仲間を集めている。
残念ながら法人格を取ることができず、そのため助成金を得るのがとても難しい状況。
今は人々に理解を得るため引き続き啓発活動を行い、法人格を取るためにセレステと一緒に活動をともにしている。
今後、多くの仲間を得て、助成を得る日はそう遠くない。

5.パラグアイ
パラグアイの国旗は裏と表とで異なるってっ知ってた?
なぜか横向き原因不明

帰国して間もないテオは帰国後さっそく自分の所属している組織に日本でのことを話した。
多くの賛同を得ることができ、今は仲間集めと、啓発活動を行っている。
彼の右腕と言っている女性が来年度の研修生として参加してほしいと強く願っている。

彼女が作った自立をモチーフとしたデザインが好評で、Tシャツ屋にもって行ったら、それを売ることになって、売上の50%が彼の組織に入るとか。

これからも啓発活動、社会保険庁が障害者に提供するアパートをちゃんと実施するように訴えかけながら一緒に活動をする仲間を集める。

6.ボリビア
国の標語「奴隷として生きる前に死ぬこと。」とかなり侍な国。
日本での写真

ボリビアのフェリサの活動はかなり難航している。それというのもたくさんの人に自立生活のことを伝えたが、いまだ賛同を得ることがかなり難しい。夢物語のようだというのである。
彼女はとても有効的なアクションプランを考えていたが、活動の速度を落とすことを決意した。
今はまだ力不足で、ゆっくりとみんなをエンパワメントし、今後日本で研修を受けるメンバーとともに少しずつ活動を広げていくと話していました。
彼女に能力があるだけに、なかなか皆がそれぞれの力で活動をするのではなく、フェリサにお任せになってしまう状況だという。
こんな状況下でも彼女は冷静で、絶望せずとてもたくましく思います。
そんな彼女を応援していきたいな。

7.ペルー
国歌「われらは自由に、常にそうあらんことを」
それなら自立できんじゃね?って思う、今僕の一番行きたい国のひとつ。
あ、これ日本でとったやつ。

アントニエタの活動は帰国してまだ時が浅い。自分の働いているところはコナディという日本でいう社会福祉協議会のようなところらしく、政府機関である。
ここで研修の発表をし、報告をJICAでもしているが、なかなか一緒に活動をしてくれる仲間を見つけるのは難しい様子。
さらに彼女が働いているところは政府の機関であり、運動をするというのはなかなか難しい。
そんな中でもアントニエタ・デ・ペルーは昔テロをしていた人々が住む町(つまりあまり足を踏み入れないところ)でアントニエタの話を聞きたいという人がいたが、そこ出向いて話をしにいったらしい。
みんな日本で研修うけたんです。

以上7カ国の報告をさらっとまとめてみましたが、皆さんいかがでしたか?
何度も僕はグッときました。
日本と比べてどうですか?なんて彼らに聞いたら答えるでしょう。
「やっぱ自分の国がいい」ってね。
自分たちが作ったアクションプラン通りになんて全然いってないだろうし、これから先に本当にうまくいくのか皆目見当もついていないのかもしれません。
あっという間に夜8:00お疲れ様でした。

グアテマラではピアカンもやっているそうです。しかしそこに健常者も入っているという本来のピアの概念からは外れています。
しかしホセ・ラモスは言いました。
「僕たちのやっているピアカンは本来のピアカンとは違うのかもしれない。でも、今にも自殺してしまいそうな人たちが目の前にいるのに、僕たちが力をつけるのを待ってられない、だから手探りでやってるんです。」

笑顔でみんなこんなふうに言っちゃうんです。

ありがとうございました。

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