2011年7月12日火曜日

TRY終了~ナーダム

           お久しぶりです!!


いや~、「モンゴルTRY」、無事に終えることができました。
これも偏に、みなさんのご協力と応援のおかげです。
本当にありがとうございました。

TRYチーム!!

詳しいTRYの報告は、また別の形で・・・・


チンギスハーン像のの前で
 このTRYによって何が変わるのか。
本当の意味でやってよかったと思うことができるTRYにするためにみんなが何ができるのか。
これからがとても大切ですね。



みんなが帰った後は・・・
「ナー、、、」
の前に、まず洗濯ですね。
服ありませんから。
洗濯物がたまって・・・
TRYの備品もたまって・・・


























洗濯も終わって、
「ナーダ、、、」
の前に、会議ですね。
会計もしないといけないし、後片付けや報告も考えないと・・・

TRYの後の会議


そして、ついに、、、、

「ナーダム」!!


ナーダムは、モンゴルが1921年に他国からの圧力を撥ね退け、
完全独立したことを祝ったお祭りです。
つまり、言い方を変えれば、「自立祭り」ともいえます。
ウランバートルでは11日と12日の2日間にわたって行われて、
その間にモンゴル相撲を初めとした、さまざまな競技が行われます。

前日の10日は軍隊のパレードがスフバートル広場で行われます。
ミサイルとかも登場して、迫力満点です。
が、
道が混んでて間に合いませんでした。

残念・・・・

もちろんこれだけで終わりではありません。
この後もたくさんのイベントがあります。
本番前日ながら、すごい人!!

 昼からは、大統領や政府の要人、各国の大使館の代表などが、
音楽隊の演奏の中、SPと軍隊に守られながら、二人の英雄に対して礼を尽くし、献花します。二人は「人」というより、少し「神」のような存在なのだということが感じられました。

2人の英雄に大統領らが献花

さて、その後、少し雲行きの怪しい中、ナーダムの会場に到着しました。
前日なので、まだまだ人も少ないのかと思いきや、思ったより人も多く、盛り上がってました。

前日から簡易トイレも設置
ホウショウを売るための店作り

前日ですが、今年は90周年という節目の年ですので、
各競技への参加者もとても多く、2日間では競技を終えることができません。
そういう時は、

予選です。

まずは、弓の予選会場へ・・・
今年は例年よりも多い300人以上の参加者がいるそうで。
一人一試合で4本×10回=40本射ることを考えると、
最低でも

300人×40本=12000本
なんか中国の映画の「英雄(ヒーロー)」を思い出しました。

思いついたことをそのまま書いてしまって、すいません。。。。

弓の予選会場の応援席


雨も上がって、予選も白熱



力強い男性の弓


華麗な女性の弓


「オーハエ~」


上の、「オーハエー」というのは、的(動物の皮で編んだコップのようなもの)に矢が当たったら、的の周りにいる人が、みんなで言います。なんか、盛り上がっていて見ていると、
思わず一緒にやってしまいます。

「オーハエ~」

的は、こんな感じで積んでます。

 次の競技は、あまり知られていないのですが、

「シャンハイアルワ」

という競技です。
これは骨でつくった、クラッカーの「プレミアム」くらいの大きさの板を、
指ではじいて、これまたくるぶしの骨で作った的に当てるという競技です。

必要なものは3つで、       
1、飛ばすための骨の板    
2、飛ばすための骨をセットする台
 3、ちっこいイス        
みんなこの三つを持って参加していました。

細かいルールは残念ながらわかりませんでしたが、
すごく雰囲気のある競技で、思わず見入ってしまいました。

この競技にはまったく女性が参加しないようです。
男の子の参加者はいましたが、この日は観客にすら女性の姿は見えませんでした。

周りで見ている人も歌を歌って雰囲気作り

この台の上のくるぶしの骨を狙います
微調整して・・・



みんなこのスタイルで指ではじきます
使ってないときの的の台















この日は、これだけでナーダム本番はまた、別のブログで、、、
たくさん歩いて疲れたので、今日は早めに休みます。
いろいろやることもあるし・・・・。
この日の夕食はスープ

そして残りの洗濯物・・・・



















おっと、久しぶりすぎて忘れそうになっていましたが、

「ティーモ モンゴル!!」

今回は、よく名前の出てくるスフバートルさんとは誰なのか、ということを書きます。
広場の名前になっていたり、銅像になっていたり、ちょくちょくブログに登場していますが、
ちゃんと説明したことなかったので、ここで簡単ですが説明させてもらいます。
とても、モンゴルにとって大切な人なので。

スフバートルは1894年に遊牧民の子供として生まれました。
彼はさまざまのことを学び、大きくなって軍人となりました。

当時は今の中国に支配されていて、民衆はなんとかこの支配から逃れたいと考えていました。
軍人として頭角を現し始めていたスフバートルは、1918年ごろから独立運動に参加し、
1920年にモンゴル人民党(モンゴル人民革命党)という組織を作り、
1921年にロシアのバックアップを受けて、ついに中国を追い出しました。

その時、馬に乗って独立を宣言したのが、
TRYの開会式でも使った「スフバートル広場」です。

歴史はさまざまな見方があるとは思いますが、
少なくとも、今のモンゴル国があるのは、
このスフバートルさんの功績があったからだといえます。
彼なしには、今のモンゴルは語れないといっても過言ではありません。

しかし、彼も超人ではありません。
独立の2年後、彼は急死してしまいます。
いろいろ俗説はありますが、毒殺されたという話を良く聞きます。

今回は文章ばかりで、少し読みづらくなってしまいましたが、
ぜひモンゴルにきたら、モンゴルの中心にあるスフバートル広場にある、
スフバートル像を見に来て、彼の功績を思い出してもらえばと思います。

前は石像でしたが、今はブロンズ像

「口角炎ができて笑うこともできない・・・」by  агы

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