いや~、「モンゴルTRY」、無事に終えることができました。
これも偏に、みなさんのご協力と応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
詳しいTRYの報告は、また別の形で・・・・
チンギスハーン像のの前で |
このTRYによって何が変わるのか。
本当の意味でやってよかったと思うことができるTRYにするためにみんなが何ができるのか。
これからがとても大切ですね。
みんなが帰った後は・・・
「ナー、、、」
の前に、まず洗濯ですね。
服ありませんから。
洗濯物がたまって・・・ |
TRYの備品もたまって・・・ |
洗濯も終わって、
「ナーダ、、、」
の前に、会議ですね。
会計もしないといけないし、後片付けや報告も考えないと・・・
TRYの後の会議 |
そして、ついに、、、、
「ナーダム」!!
ナーダムは、モンゴルが1921年に他国からの圧力を撥ね退け、
完全独立したことを祝ったお祭りです。
つまり、言い方を変えれば、「自立祭り」ともいえます。
ウランバートルでは11日と12日の2日間にわたって行われて、
その間にモンゴル相撲を初めとした、さまざまな競技が行われます。
前日の10日は軍隊のパレードがスフバートル広場で行われます。
ミサイルとかも登場して、迫力満点です。
が、
道が混んでて間に合いませんでした。
残念・・・・
もちろんこれだけで終わりではありません。
この後もたくさんのイベントがあります。
本番前日ながら、すごい人!! |
昼からは、大統領や政府の要人、各国の大使館の代表などが、
音楽隊の演奏の中、SPと軍隊に守られながら、二人の英雄に対して礼を尽くし、献花します。二人は「人」というより、少し「神」のような存在なのだということが感じられました。
2人の英雄に大統領らが献花 |
さて、その後、少し雲行きの怪しい中、ナーダムの会場に到着しました。
前日なので、まだまだ人も少ないのかと思いきや、思ったより人も多く、盛り上がってました。
前日から簡易トイレも設置 |
ホウショウを売るための店作り |
前日ですが、今年は90周年という節目の年ですので、
各競技への参加者もとても多く、2日間では競技を終えることができません。
そういう時は、
予選です。
まずは、弓の予選会場へ・・・
今年は例年よりも多い300人以上の参加者がいるそうで。
一人一試合で4本×10回=40本射ることを考えると、
最低でも
300人×40本=12000本
なんか中国の映画の「英雄(ヒーロー)」を思い出しました。
思いついたことをそのまま書いてしまって、すいません。。。。
弓の予選会場の応援席 |
雨も上がって、予選も白熱 |
力強い男性の弓 |
華麗な女性の弓 |
「オーハエ~」 |
上の、「オーハエー」というのは、的(動物の皮で編んだコップのようなもの)に矢が当たったら、的の周りにいる人が、みんなで言います。なんか、盛り上がっていて見ていると、
思わず一緒にやってしまいます。
「オーハエ~」
的は、こんな感じで積んでます。 |
次の競技は、あまり知られていないのですが、
「シャンハイアルワ」
という競技です。
これは骨でつくった、クラッカーの「プレミアム」くらいの大きさの板を、
指ではじいて、これまたくるぶしの骨で作った的に当てるという競技です。
必要なものは3つで、
1、飛ばすための骨の板
2、飛ばすための骨をセットする台
3、ちっこいイス
みんなこの三つを持って参加していました。
細かいルールは残念ながらわかりませんでしたが、
すごく雰囲気のある競技で、思わず見入ってしまいました。
この競技にはまったく女性が参加しないようです。
男の子の参加者はいましたが、この日は観客にすら女性の姿は見えませんでした。
周りで見ている人も歌を歌って雰囲気作り |
この台の上のくるぶしの骨を狙います |
微調整して・・・ |
みんなこのスタイルで指ではじきます |
使ってないときの的の台 |
この日は、これだけでナーダム本番はまた、別のブログで、、、
たくさん歩いて疲れたので、今日は早めに休みます。
いろいろやることもあるし・・・・。
この日の夕食はスープ |
そして残りの洗濯物・・・・ |
おっと、久しぶりすぎて忘れそうになっていましたが、
「ティーモ モンゴル!!」
今回は、よく名前の出てくるスフバートルさんとは誰なのか、ということを書きます。
広場の名前になっていたり、銅像になっていたり、ちょくちょくブログに登場していますが、
ちゃんと説明したことなかったので、ここで簡単ですが説明させてもらいます。
とても、モンゴルにとって大切な人なので。
スフバートルは1894年に遊牧民の子供として生まれました。
彼はさまざまのことを学び、大きくなって軍人となりました。
当時は今の中国に支配されていて、民衆はなんとかこの支配から逃れたいと考えていました。
軍人として頭角を現し始めていたスフバートルは、1918年ごろから独立運動に参加し、
1920年にモンゴル人民党(モンゴル人民革命党)という組織を作り、
1921年にロシアのバックアップを受けて、ついに中国を追い出しました。
その時、馬に乗って独立を宣言したのが、
TRYの開会式でも使った「スフバートル広場」です。
歴史はさまざまな見方があるとは思いますが、
少なくとも、今のモンゴル国があるのは、
このスフバートルさんの功績があったからだといえます。
彼なしには、今のモンゴルは語れないといっても過言ではありません。
しかし、彼も超人ではありません。
独立の2年後、彼は急死してしまいます。
いろいろ俗説はありますが、毒殺されたという話を良く聞きます。
今回は文章ばかりで、少し読みづらくなってしまいましたが、
ぜひモンゴルにきたら、モンゴルの中心にあるスフバートル広場にある、
スフバートル像を見に来て、彼の功績を思い出してもらえばと思います。
前は石像でしたが、今はブロンズ像 |
「口角炎ができて笑うこともできない・・・」by агы
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