2011年8月6日土曜日

カンボジアから ソクサバーイテ(元気ですか?)地域の障害者まわりコップンスプー


カンボジアからソクサバーイテ?ザッキーです

コップンスプーというところで、国立のリハビリテーションセンターに行きました。
代表から、施設の歴史、海外からの支援でなりたっていること、今は海外からの支援が少なくなってきていること、自分達の活動のすばらしさ。長い時間説明してくれました。ちなみに、たくさんあった職業訓練センターは、今は2つになって軽度の障害者達の就労支援がすごく困難になってきているそうです。
それは、深刻な問題だ。。。
でも、もしかしてこれはうちに支援を求めているのかな…?
説明を受けています。

リハビリ室

話しに聞いた活動は、しっかりしてて、ここでもサービスを受けられるし、地域に行って障害者にあって、必要な人にサービスをあげることもできる。また、地域で支援してる他の団体と月に一度会議をして情報を共有し、また必要であればすぐにでも連携して支援できるようにしてるそうです。
病院に行く必要があったら病院と連絡をとり、紹介できるようにしてるし、子供が学校へ行くのが必要なら教育機関とか、就労支援なら、職業訓練を紹介し、盲人なら、盲人の団体といった感じです。月に1回会議にプノンペンCILも参加してもいいということなので、参加させてもらうようにお願いしました。
義足も支援してます

ここで作っています







































畑の中にあります。

  
次は、ウォソー障害者の協会。CDPOとADDの加盟団体のひとつ。

メインロードからかなり奥に入っていき、車が通らない道も通って、到着しました。
途中何度か車が穴にはまり、動かなくなりましたが。。。まめ知識ですが、車が穴にはまってタイヤが空回りしたたときは、手のひらサイズの石を何個かタイヤの下や前に置くと穴から出れます!これは使えます!覚えておくと便利です!





手前が代表で、スタッフは軽度障害者が多いです。


団体はこじんまりとした小さな感じでした。
でもこの地域は重度障害者が多いといってました。でも、障害者は統計的にはどこにでもいるはずだから、多いというよりは、たぶん地域密着してよく探したんだと思います。
この団体とは、その重度の障害者達を集めてここで自立のセミナーをしようということになりました。
話をしてから実際2人に会いに行きました。


会うと骨形に似てます。声も高い鼻声。でも、3年前からだそうです。



左から3番目の女性が歩いてたときのスライノットちゃん
 スライノットちゃん。24歳。一見骨形形成不全に似ていて、骨がよく折れ、痛みで今座っている場所から動けないらしいです。寝るときは、そのまま後ろに置いてあるクッションに倒れこむそうです。
部屋の外にある木のすのこベッドの上でずっと過ごし、トイレも、すのこに穴をあけ、その下の金だらいに落とすようにし ています。
骨がよく折れだんだん動けなくなり今の生活になっていったそうですが、そうなったのは3年前からで、それまでは普通に歩けていたし、生活できていたそうです。
数ヶ月前までは、手でベッドの上を移動もできたそうですが、今はそれもできないそうです。
ぼっぱちゃんに会うと、私もぼっぱちゃんぐらい車椅子に乗って外に出れたら…といってました。

骨形だったら、多少筋肉をつけて、動けるようになるだろうし、筋肉をつけたほうが骨もガードできていいけど、神経、筋肉系の障害だったら筋肉をつけることも難しいかもしれないし。


おじいさんが車椅子を買ってくれたそうですが、痛みでのれません

手前がお父さん。お父さんも戦争で負傷した障害者
病院では骨折の治療だけで、そういった障害や、病気かどうかの診断はできてないそうです。
調べれたらもしかしたら何かできるかもしれないのに。。。











次も名前はスライノットちゃん。14歳の女の子で、2年前の高熱のため、障害者になった人。座れなくなり、話せなくなり、今はけいれんのようにしか、自発的には動くこともできなくなり、食べるのも困難になり…と、ここ数ヶ月のあいだでもどんどん進行していってるそうです
おなかがすいたら涙をながすとか、お母さんの介助のご飯しか食べないことから、周りの事や、自分の体の感覚はわかってはいると思うのですが進行があまりに早いので、どうしたらいいのか。家族も心配しているそうです。





そのスライノットちゃんに会っているときに、聴覚障害の男性がきました。
彼は、彼女のお父さんは、戦争での負傷者で、両すねには痛々しい傷跡がある事を、ジェスチャーで何度も伝えてきたり、寝ている彼女のまねをして見せて顔をしかめたり、とにかくずっと何かを伝えてくるのですが、周りも私もほとんどわからず、周りの人は、また来た~みたいな感じで接していました。学校は行ってないらしく、読み書きもできないそうです。でも知らずに渡したプノンペンCILのパンフレットを、聾者特有の声を出し、読むまねをして、時々文章をジェスチャーでやって見せるのですが、 サミスが言うには「そんな事かいてない」そうです。聴覚障害者だから、教育があれば会話もできるだろうし、勉強だってできるのになぁ。とにかく人に混じり たくて一生懸命だけど、みんなに相手にされないのが見ててつらかったです。時々ジェスチャーに手話っぽいのや、介助って日本手話もしたりするので、少しは 誰かにどこかで勉強したのかもしれません。
サミスにどこか聾者の団体はないのか聞いてみたけど、子供の学校のためのサポートはあっても大人に教えるのは、知らない。調べてみるということでした。
 聾者のジェスチャーです。私はあまり手話詳しくないので
手話かどうかわかります?


帰りの車では、聾者のような身体でない障害者の支援、のような意思疎通のできない障害者の支援。痛みで動けないスライノットちゃんのような支援について話しました。
昨日同様、答えは出ませんが、でも昼間行った、リハビリテーションセンターのコミュニティー会議で連携をとったり、会う事をつづけて、ピアカウンセリングになったり、何かできるニーズを探したり、一緒に考えることで支えにならないだろうかと言う話になりました。
日本でも介助は目に見えて助けになる支援もあれば、変化はないどころか進行していくのをただ見るだけしかできない支援もある。進行したら、病院や医療なしではできない介助もある。医療が手を尽くせないときはとりあえず今できる対処だけして在宅で過ごす人もいる。
それが、カンボジアではいろいろと医療も金銭的にも、技術的にも問題があるので、そこでとまってしまうけど、その中でもできる支援を見つけるしかないのかなぁ。

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