2010年11月30日火曜日

2011年早々にコスタリカで自立生活センター設立&自立生活スタート決定!




みなさんこんにちは。うさみです。

今日はコスタリカ3日目。

昨日のコスタリカチームだけの話し合いの結果を、日本人を交えて話し合う日でした。
朝9時から始まった話し合いは、まず、コスタリカからのアクションプランの発表から始まりました。今年の研修員(マイノルさんとルイスアルベルトさん)が帰国した後に、自立センターをペレセレドンで作る話が具体化し、そのためにはどんなことが必要で何をしなければならないのかを話し合ったことが発表されました。





朝からみんなで話し合い


コスタリカからのプランを廉田さんがツッコミます


日本で勉強した自立センターのことをきちんとつかんでいて、それを具体化するためのプランをわかりやすく説明していました。


実際には、過去に日本に研修に行ったことがある研修員が来年の2月を目処に全員ペレセレドンに移り住んで、パイロットプロジェクトとして自立生活を進めていくことが話されていました。そのための家探しや生活費の捻出、介助者探しやその養成など具体的にどんなことをするのかの話までしていました。

そして、その実現のためには実際にいくらぐらいのお金が必要でどこから捻出できそうなのかの話にもなっていました。

必要な経費を模造紙にまとめているところ。


まとまった経費を説明中


コスタリカ国内では、団体が法人格を持つと政府関係の団体から金銭的な支援を受けることが可能で、法人格がうまく取れることが出来れば、資金繰りも何とかなりそうな予感がしてきました。ただ、これらの支援は永久的に使えるものではなく、パイロットプロジェクトとして、ある一定の期間だけの支援になるそうです。


そのため、1年ないし2年の間には何かしらの成果を出さなければ、その後の支援が打ち切られてしまうといった危なさも持ち合わせていました。



ただ、今コスタリカでは障害者の自立法という法律が議論されていて、昨年度はその法律の重要優先度が175位だったのが、今は42位まで上がってきていて注目されるようになってきているそうです。その流れの中で自立生活センターが出来てこのプロジェクトがうまくいくと、より自立法の制定に近くなるチャンスの時だそうです。



ウェンディさんは、

「今は実家に住んでいて、自分の介助をしてもらうために個人的に介助者を雇っています。その費用は年金だけだとまかなえなくて、手芸の内職をしながらお金を稼いでいます。でも最近は自立生活センターを作るための活動が中心の生活になっているのでお金を稼ぐことが出来なくて、もしかしたら個人的に雇っている介助者を雇えなくなるかもしれない。けれどもこの活動をして、自分が自立することで障害者の自立法を作るときのモデルになることが出来る。自立法が出来てコスタリカに介助制度が出来れば、個人的に介助者を雇う心配をしなくても良くなり、よりこの活動に力を注ぐことが出来ます。コスタリカに自立法が出来るように全力で関わっていきたい!!」と熱く語っていました。


他のメンバーもそれぞれに、自立センターや自立運動に対する思いを熱く語っていて、コスタリカのメンバーの真剣さが伝わっていました。



熱い思いを語る一回目の研修生のアイダさん。彼女が日本に来て、自立生活は私の夢!
という一言で、自立センターを作るプロジェクトが広がりました。


去年の研修生のルイスエルナンは、彼の住んでいる地方(ゴルフィート)ですでにいろいろな活動をしていて、団体も作ってしまっているため、それを放り出してペレセレドンに移り住むことは出来ないという事情で、今回のペレセレドンでのプロジェクトからは外れました。
しかし廉田さんが「ルイスはコスタリカの介助制度を作るためのキーパーソンだと思っている。いろいろな事情からペレセレドンに住んでみんなと一緒に活動が出来なかったとしても、コスタリカに介助制度を作るという点ではみんなと同じように活動していって欲しい。そのためには親と一緒に住むのではなく、親から独立して自立する道をゴルフィートで作っていって欲しい。」伝えると、その方向で動き出しているという答えが返ってきました。


大学の試験の関係で一日遅れで来たルイス君

ルイス君は介助者が見つからなくて妹と来ていました
この研修が始まったときに、中米の国の中で、治安的にも経済的にも自立センターが作りやすいのはコスタリカだと思ってコスタリカと関わっていました。

でも、3年やっ
てみても真剣に腹をくくってやるというようには見えなくて、ホンジュラスからコスタリカへの移動中には「腹がくくれないのなら、自立センターを作るのは辞めにしましょう」という話をしようかどうかという話まで出ていました。

けれども真剣な眼差しで自立センターを作る思いを聞くことが出来て、こちらも前向きに支援を考えていく方向性を持つことが出来ました。



今までは研修で出会った「友だち」でしたが、これからは自立生活センターをやっていく「仲間」になれたことが何よりも嬉しかったです。

これから、いろいろと大変なことがあると思うけれど、日本から応援しているのでコスタリカで重度障害者が自分らしく生活できるように社会を変えていって欲しいと思います。

で、出来ればコスタリカに修行研修行きたいな~と思いました。

そのために私も日本でもっともっと頑張らないといけないと思いました。

自分の人生をかけて頑張っている仲間を応援するためには、自分も人生をかけて日本で自立生活運動をしていかなければ、彼らと対等に話をすることは出来ないし、何より私の言葉が嘘になってしまうというプレッシャーも感じました。

さ~、私も日本でがんばらないと!!!


で、今日からの新メンバーの紹介です。
今日から2人男の人が参加しました。ホセ・アントニオさんとフアン・カルロスさんです。2人とも脊損で、ペレセレドン郡に住んでいます。

これから、この自立生活センターのメンバーとして頑張っていってほしいものです。


ホセ・アントニオさん。32歳だって~。 
フアン・カルロスさんの写真は撮れませんでした…。

それと、今日から通訳として同行してくれるフランクさんです。

彼はペルー人なのですが日本に10年間住んでいたことがあり、日本語はペラペラです。って、プロの通訳なので当たり前ですよね。初めてコスタリカに来たときにもフランクさんが通訳をしてくれていて、「コスタリカ一の通訳」と井上さんが言っていました。とてもわかりやすくて良かったですよ~。あと4日、よろしくお願いします。


来年、日本に遊びに来るそうです。そのときはメインに寄ってくれるそうです。
待ってますよ~!!

さて、ここで一つ。

会議をしながらコーヒーを飲むのですが、それと一緒に食べるビスケットが美味しいんです。ブラックコーヒーにビスケットを浸して、ちょっとフニャっとなったところを食べるのが最高!!
おいしいコスタリカコーヒーと甘いビスケットがマッチしてなんとも言えないおいしさがあります。
コスタリカの人は甘いコーヒーに甘いビスケットを浸してますが、それはちょっとね…。私には…。ブラックコーヒーと甘いビスケットでちょうど良い感じです。ちょっとお行儀悪くて日本では怒れそうですけど、ここはコスタリカ。郷に入らば…。ですよね。

今日はオレオとブラックコーヒー。
みなさんもぜひ試してみてね。
ではでは、明日はいよいよ首都サン・ホセに入ります。
長かった中米も残すところ後4日。
明日からはめちゃくちゃ濃い4日間が始まります。

ではでは、私たちはブエノス・ノーチェス!!アスタ・マニャーナ!

2010年11月29日月曜日

サンイシドロで休暇



こんにちは。佐藤です。

ホテル前の道。これが有名なパンアメリカンハイウェイです。
アラスカからアルゼンチンの南端までアメリカ大陸を南北に突き抜ける全長17,848kmの道。ちょうど真ん中くらいかな。


今日は日本を出てから初の休暇でした。
連日ハードスケジュールだったので、ちょっと嬉しい~

コスタリカメンバーは、今後の活動について一日話し合っていたのですが、僕らは部屋でゴロゴロ休んでいたので、今日は活動の報告がないんですよ。
なので、写真を載せながら、コスタリカのメンバー紹介やいろいろ書いてみます。

まず、僕らは昨日からコスタリカに来たのですが、いまいるのはペレセレドンという郡で、その中のサンイシドロ市というところにいます。
人口は7万人(ペレセレドン全体では15万人)。

コスタリカにきて驚いたのは、結構バリアフリーになっているということです。昨日ここまで乗って来たバスもリフトついていたし、街中で走っているバスも、結構リフトがついているのです。





これは、ホテルの前の道路を走っていた路線バスです。

2ステップあるバスですが、後ろの入り口にリフトが付いているのです。この写真の黄色いところが

リフトになるんですね。

日本は低床バスの普及が進んでいますが、ここはアメリカと同じくリフト付きのバスが導入されています。




こちらの写真は僕らが泊まっているホテルです。
地方のホテルなので2階建てのこぢんまりしたものですが、ここにもバリアフリールームがちゃんと数部屋あります。


こちらは、ホテルの向かいのモールにお昼ご飯を食べに行った時の写真ですが、このようにちゃんと車イス用のスロープがありました。
こういう感じで、コスタリカはホンジュラスやニカラグアに比べて、格段にバリアフリーは進んでいます。サンポセの街中も、スロープを沢山見かけました。


ここでちょっと脱線。
今年来た研修生のルイスが、日本にはタコベルがないのかと宇佐見によく言っていたそうです。そのタコベルを発見!
ルイスがそんなに食いたがっていたタコベルとはどんなものか、やっぱり食べないといけませんね。
ここだけ結構並んでいたし。
ということで、食べるとこんな感じになります↓  結構うまかったよ。


さて、ここから、コスタリカのメンバー紹介です

まずは、アイーダ。
みんなにはチキと呼ばれています。
チキって小さいという意味みたい。
このペレセレドンに住んでいます。いつもバッチリメイクアップしていて、ダンス大好き。


次はジゼル。
彼女もこの町に住んでいます。
このホテルのお風呂は、ガラスの引き戸を開けてバスタブに入るのですが、ちょっと豊かな体型になりすぎで、その引き戸の幅に身体が入らず、本日部屋替えとなりましたー。


こちらは、ウェンディですね。
コスタリカの北の方の町、オハンチヤに住んでいます。
噂によると、お父さんが超ハイテンションらしいです。
去年、廉田さん達が自宅を訪問したときに、お父さんが庭になっている果物をもぎ取って、まっちゃんに「ひろし、これ食え!」と言ったら、まっちゃんはちゃんと食べて「うめぇ~」と言ったそうです。


こちらが、ルイスアルベルトです。タコベルの。
コスタリカの北の方の町、プンタレナスに住んでいます。
パソコンオタクで、8月に来日したときは、IPADを買ってました。
陽気で良くしゃべりますよ。


右がマイノル、左がJICAコスタリカの石橋さんです。
マイノルは、メッチャ優しくて、いつも穏やかにほほえんでいます。
来年、ジゼルと結婚するそうです。
石橋さんは、僕らのプログラムの受け入れ先として、いつも積極的に関わってくださっている方です。こちらに来たきっかけは、青年協力隊でバレーボールを教えに来たのだそうです。



そして、この人はだれ?
はじめてみますね~
アイーダ達と一緒に活動している、新しいメンバーです。
年はなんと18歳! かわいいですね~
名前は、スサーナです。


このメンバーで、今日は一日、こうやって会議をしていました。
コスタリカでの今後の活動について決めているのです。
自立生活センターはどうなったでしょうね?
今日話した内容を、明日僕らが聞いて、話を詰めていく、という流れでやっていきます。


日本にも来た、ルイスの介助者ラウルです。本職は魚屋さん。

ウエンディの介助者のエベリンです。今回初登場




ついでにもう1ショット。なんか食べていますね~
これは、会議をしながら、30日のミニセミナーで参加者に配る資料に、キャンディを一緒に詰めているのです。資料と一緒にキャンディ配るというところが、日本にはない発想ですな。



そして、こちらの日本人はミッキー吉野!ではなくて、去年ニカラグアのセミナーの時に通訳をしてくれた五十嵐さんです。本職はコスタリカの大学院生です(年はけっこういってます)。

今回は他の通訳とかぶってしまい、残念ながら僕らとは別の組になってしまったのですが、遊びに来てくれましたー
この人、陽気でなんでもしゃべるし、面白いです。
得意なジャンルは恋愛ネタ。
付き合った相手との年の差が、僕らの中ではナンバーワンでした。宇佐見を抜いてます。廉田さんと二人で爆笑してしまいました。
メチャメチャ仲良くなっていますから、こんなこと書いても許してくれるでしょう!
一緒にホテルの日本食を食べました。
来年の春には日本に一時帰国するかもしれないので、そのときはメインストリーム協会に遊びに来てくれると言うことです。



最後に、明日からのコスタリカでのスケジュールを書いておきます。

11月29日(月) コスタリカメンバーを話し合い。今後の活動について。
30日(火) ミニセミナー。  夜はバスでサンホセに移動。
12月1日(水) ホンジュラス、グアテマラ、ニカラグア、コスタリカの4カ国で、自国の活動について発表
2日(木) 障害者の日イベント シンポジウム&講演会
3日(金) ニカラグア、グアテマラのメンバーと、今後の活動について話し合い
4日(土) 帰国

というスケジュールです。
まだまだいろいろありますよー


では最後に、パンアメリカンハイウェイを疾走する俺たち!(電動車いすにつかまってますが)↓

2010年11月28日日曜日

コスタリカへ


こんばんは。井上です。今日夕方コスタリカの首都サンホセに着いて、そのまま空港まで迎えに来てくれていたルイス・アルベルトとウェンディと一緒にバスに乗って3時間半、ペレスセレドンという町にいます。ホテルに着いてチェックインを済ませて、閉まりかけのレストランに滑り込んでやっと一息ついたところです。隣りのベッドでは今年の研修生マイノルがいびきをかいて寝ています。



今日は移動ばかしの一日でした。午後1時に迎えの来る間が来て空港へ。天気が悪くなってきて、空港へ向かう途中こちらでは初めて雨が降ってきました。カローラとホテルでお別れをして、空港にはエンジャとお母さん、義理のお姉さんが見送りに来てくれました。そんな遠くないうちにまた来てくださいと言われたのですが、ここホンジュラスには活動的な団体があることもわかったので、おそらくまた来る機会もあるんじゃないかと思います。







コスタリカまではわずか1時間ほどのフライト、席はエコノミーだったのですが、ビジネスの席に座ることができ快適な1時間でした。入国審査と税関を問題なく通過して外に出ると、去年の研修生ウェンディとエブリンという新しい介助の女の子、今年の研修生ルイス・アルベルトと介助のラウルが迎えに来てくれていました。打ち合わせていたとおり、みなでリフト付きのバスに乗り、ここ首都サンホセから3〜4時間離れたコスタリカ第2の都ペレスセレドンまで向かいます。乗るとすぐにバスは動き出し、トイレ休憩も挟まずに目的地まで。このサンホセ〜ペレスセレドン間は、かなり高度のある山を越えていかなくてはならないのですが、ここが雨期になるとしょっちゅう土砂崩れで普通にあります。同行のルイスによると先週も雨がひどくて通行不能になっていたらしいです。数週間前に中米研修で通訳を手伝ってくれた女子大生の女の子がこの町を訪れるはずだったそうですが、それも道路が不通で実現しなかったそうです。



出発を待つ一行
そういう話を聞くと着いただけでも運がよかった気もしますが、乗り心地は最悪。何度も腰が抜けそうになりそうなくらいバスは揺れました。
ほぼ予定どおりの時間でペレスセレドン到着、ぼくはこの町に来るのは3回目ですが、なんとなく帰ってきたように思えるホッとした感がある町です。ホテルに着くと、アイーダ、ジゼル、それにマイノルが出迎えてくれ、さっきまでホンジュラスでお別れを言ってきたのに、もうすぐに出会いが待ってる。へんな気分の再開でした。ウェンディにホンジュラスから飛行機1時間で来たといったら、私はバスで4時間もかかったのにと、不満そうな様子。
さて、明日から30日までここペレスセレドンでコスタリカチームの今後のことをじっくり話し合った後再びサンホセに移動。サンホセでは中米各国の研修生たちがみんな集まって話し合いがあります。

かなり進んでるコスタリカのバリアフリー。リフトバスに乗る代表。






Adiós Honduras


2010年11月27日土曜日

号外 まちネタ

号外です。
写真を沢山撮ったので、テグシガルパやダンリ市などがどんなまちか、写真で紹介します。
これはアメリカ映画で良く出てくるスクールバスじゃないですか。街中を沢山走っています。学校多いんだな~と思ったら、普通の路線バスでした。たぶん、アメリカから中古で買ってきて走らせているんだと思います。

このバスのすごいところが、ボンネットバス!俺が子どもの頃も走ってなかったです。ものすごい古いバスのような気がする。ちなみに車内のステップは3段でした。

テグシガルパ市内。車は非常に多く、朝夕は渋滞になってます。電車はありません。テグシガルパは丘の町なので、坂だらけ。しかもものすごい急な坂なので、手動車イスではぜんぜん登れませんなぁ。

信号は少なくて、横断歩道あんまりなくて、いたるところで、こうやって人が横断しています。

何か分からないけど、馬の銅像。ヒヒィ~ン

こういう感じで、遠くがよく見えるのです。夜の夜景もさぞかし綺麗かと思いきや、電気が少なくて寂しい感じ。

街中で見つけた歩道橋。すごい階段ですな

工事中の道路。土は赤色です。日本と違いますね~


テグシガルパからダンリ市へ向かう途中。こういう低い山と森の道が延々と続きます。綺麗ですよ。
ホンジュラスの名産で有名なものに、マホガニーという木があります。マホガニーは中米から南米にあるのですが、響きがよくてギターなどの楽器によく使うそうです。なかでも、ホンジュラス産のものはものすごく良くて、ホンジュラスマホガニーと言って超有名らしいです。西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターの大ホールもマホガニーです(カナダ産みたいですが)。きっと、この森にも沢山、ホンジュラスマホガニーがあるんでしょうね。


途中は森ばかりで畑とか全然なかったのですが、1つ見つけました。背が高くて、でもトウモロコシはついてなかったので、たぶんん、サトウキビじゃないかなぁ。沖縄出身の下地さん、あってますか?

これは市内でよく見る街路樹です。オレンジの花が咲いてて、すごく綺麗なんだよね。日本には花が咲く街路樹はすくないので、ちょっと異国情緒があります。

ダンリ市の中心部、教会のある公園。人口は17万人くらいで、こぎれいな町でした。

これがダンリの街中。こちらは治安も良くてのどかな雰囲気。

ケンシーの家で

SOSで記念撮影。親に捨てられた障害児が暮らしています。児といってお8歳から48歳までいるそうです。知的障害者、身体障害者が多かったですね。宇佐見が男の子に歌うたってもらってました。

最後に訪問した障害者が住んでいる家。舗装していないガタボコ道を車で20分ぐらい入ったところにありました。貧困問題が大きいですね。