2011年11月22日火曜日

カンボジアのムララン


恥の多い生涯を送って来ました。ムラタです。
長かったのか、それとも短かったのか。3ヶ月という期間をおき、またこのカンボジアの地に足を踏み入れました。

活動を続けていくために重要なのが、志の持ったメンバー集め。
アジア支援をしていく中で、この問題はどのセンターにおいても悩みの種です。
ここサミス代表のPPCILでもそれは同じことでした…


今回はPPCILに来た2人の新しいメンバー、「ラトナさん」、「ティラさん」の面接。PPCILメンバーのエンパワメントといったところ。
メンバーそれぞれに問題があり、さらに自立の理念や運営のことに関しても支援が必要なのか。

でもそれもこれもすべてお金が関係しているのかもしれません…

「この仕事はお金のためではない!」
「しかしこの国は貧しすぎる…」
「心の豊かさとは? お金の大切さとは?」
日本にいては絶対に感じることの出来ない心の葛藤がありました。
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ではメンバー紹介。

 ラトナさん(28)

とても賢い人というのが第一印象。
サミスがセミナーや話し合いを通して、しっかりと自立の理念を教えてきたことがすぐ分かりました。
すべての質問に的を射た答えがあり、自分の意見もちゃんと持っていると感じました。
若きエース。
笑顔が素敵。












ティラさん(27)
カドタさんの話もちゃんと聞いていて、勉強していきたいという意志をきちんと感じることが出来ました。
笑顔が素敵。
二人、付き合ってます。
「別れたとしても強い気持ちを持って頑張って行きます!」














 当初はこの二人だけの講義になる予定でしたが、古くからのメンバー、「ハッチさん」、「フンさん」、「ソパラさん」も休みの日なのにも関わらず来てくれました。


ソパラさん
フンさん
ハッチさん




話を進めていくと、自立生活運動という考えそのものに対しての意識の差を感じました。

カンボジア人の感覚というものがまったく分からないのです。
先にも書きましたが、貧しさの問題はカンボジアの支援をしていく上で切っても切り離せない問題です。
通訳難しいね


でもその感覚みたいなものが日本人には理解できないのです。


「貧しすぎる状況の中では、センターを大きくしてお金持ちになりたいという気持ちは切実なのかもしれません。」

「貧しすぎる状況の中では、日本人の思うような人間関係も正常に築けないのかもしれません。」


でもそんな状況だからこそ、お互いがお互いを信頼し合い、どんなことでも腹を割って話しあえる関係作りをしていかなければいけないのかもしれません。

きっとその先には素晴らしい未来が待ってるはずだから…





「サミス。頑張れ!」 










2011年11月7日月曜日


日本のみなさんこんにちは。
ボリビアから来たフェリサ・ラモスです。
名前の通り、髪型もラモスなのよ。



ボリビアは南米大陸の真ん中にある内陸国で、国土の面積は日本の約3倍、人口は1,000万人なのよ。

ボリビアにはウユニ湖という世界最大の塩湖があり、その近くのわずか20戸の村に私は生まれたの。村の名前はジオグランデ(大きな川)。
私は、見た目も典型的な原住民で、それを誇りに思っているわ。


8人兄弟の3番目で、子どもの頃は母親に勉強するように励まされ、外にはあまり出してもらえなかったの。

大学はポトシというちょっと大きな街にあったんだけど、田舎から来た人は馬鹿にされたわ。田舎の人をいじめるのは日本も同じみたいね。だから、勉強で頑張って見返して上げたわ。


大学を卒業し、97年に生まれ故郷にウユニに向かう途中にバスが崖から70m落下して、障害者になったの。

車イスの友人はほとんどが靴屋をやっていたわ。でも、私は資金がなかったので、母を手伝って食べ物屋をやっていたわ。

その後は障害者の活動に関わり、4年間無給で働いたわ。
やがて活動が認められて事務所を貸してもらったんだけど、メインストリームのトイレくらいの大きさしかなかったわ。しかも、天井の上は本当にトイレ。
そこで18ヶ月活動したの。


そこは県レベルの活動だったんだけど、お金がなくて思うような政策ができなかったの。
だから、コナディスという中央政府レベルで障害者のために働く組織に移ることにしたの。

アクションプランをつくり、障害者の登録制度を開始したわ。登録制によってきちんとしたデータを持って国の政策をつくりたい、障害者の雇用を創出したいと思って取り組んだんだけど、これが結果的に障害者を分裂させることになってしまったの。新しくできた事業はリハビリに焦点を合わせたもので、健常者を500人雇用させるだけの事業になってしまったの。私のやりたい仕事ではなかったわ。


ここの給料は$1500とすごく良かったの。でも、私のやりたい仕事はできないから、今年の2月に辞めて、障害者の友だちとグループをつくったの。まわりからは、どうしてあんなに給料の良い仕事を辞めるの?と言われたわ。
私を人間として尊重してほしかったし、障害者を人間として尊重させたいと思っていたの。だから、新しい道を選んだわ。いまは家族と同居して、月収150ドルで生活しているわ。


メインストリームでの6週間の研修は素晴らしかったわ。ここで学んだ「自立生活」という概念こそ、私が探し求めていたものです。いまは障害者に向かって、確信を持って、私たちは何をやっていかないといけないのか説明できるわ。

メインストリームでの仕事のやり方はとても印象に残ったわ。ここの人はみんなお金がなくても幸せだと思っているのが、本当に良いな~と思ったの。今日の講義でも、「お金がないのを楽しみながら働く」という廉田さんの言葉がとっても心に残ったわ。


先週の金曜日の講義で、廉田さんがわたしたちに、帰国したら自立するのかどうか聞いたの。私はその時に、自立すると決めたの。でも、とても勇気が必要で、トイレで一人で泣いちゃったわ。帰国したら家族に話さないといけないけど、家族がどう反応するか、反対するのが目に見えているの。辛いけど、恋人もいるし、彼と一緒に暮らせるし、なんとかなるっぺ。


メインストリームでは、毎日がpartyだったわ。夜中までみんなといろんな話をしたわ。本当に楽しかった。でも、睡眠不足になっちゃったから、帰国したらまず、ゆっくり寝るわ。いまいろんなアイティアがあるので、ゆっくり休んで整理しようと思っているの。



お金持ちがハッピーじゃないというの分かっているの。だから、私は自分がハッピーになるにはどうしたらいいか考えたいし、車イスの人に近づくにはどうしたらいいか考えたいの。基本に立ち返って、私の障害者の友だちを集めて、メインストリームで学んだことを話していきたいし、きっと友だちは私の話を気に入ると思うわ。



最後に、親愛なる日本のみなさんに、ボリビアの小話を紹介するわ。

ある男がバーに入ると、イスに座って飲んでいる男の人がいました。
あれ、俺の友だちだなと思って、家まで送ってあげることにしました。家まで連れて行ってやるよと言ったけど、男の人はベロンベロンに酔っ払っていました。

イスから立ち上がらせると、しばらくしたら、ぼてっと倒れた。
外に出てタクシーを呼ぼうと思って手を離したら、またぼてっと倒れた。
タクシーを見つけてドア開けて乗りこもうとして手を離すと、またバタッと倒れた。
家に着いてタクシーから降ろしてお金払っているときも、またぼてっと倒れた。
家のベルを鳴らして、手を離すとまた倒れた。
奥さん出てきたので、「ご主人連れてきましたよ」と言うと、「ありがとう。で、主人の車イスはどこ?」と言いました。


Hola,フリオです。


こんにちは。フリオです。ニカラグアから来たフランシスコの介助者だよ。フランシスコの介助者になって半年ほど。じつはぼくの従姉妹も障害者なんだ。こないだのJICAの面接のときに来てたのが、ぼくの従姉妹だよ
今日は、メインストリームでの研修の最後の日。みんなは2階で研修を受けているんだけど、ぼくは明日出発する荷物を用意して、ちょっとコーヒーでも入れて一服するところ。




最後の研修は「Q&A」。これまでの研修で疑問に思ったり納得できなかったりしたことを、最後のこの機会に解消しておく時間らしいんだ。ちょうど今はフランシスコが、「もし重度の障害者を介助中に利用者が死んでしまったらどうなりますか?」って質問しているところだね。


ぼくもフランシスコと一緒にずっと研修に出ていたので、自立生活運動にはかなり詳しくなったよ。でも、ぼくはやっぱり介助者だから、新人介助者の研修が印象に残ってるな。


食事介助とか
車椅子の研修もやったね。


最後に行った、京都と奈良の観光もよかったなー。日本ってぜんぶこんな町ばっかりだと思ってたんだよ。



おっと紹介するの忘れてたね。これがぼくのボスのフランシスコだよ。女好きなのはみんなもう知ってるね。2階に通訳の女の子を連れ込んで廉田さんに注意されてたもんね。
まぁ、でもぼくも女の子が嫌いなわけじゃないんで、きれいな娘が通ると2人でこんな感じかな。えへへ。

メインストリームでは、3階がぼくたちの家みたいになってる。テーブルを囲んでラテンアメリカの仲間とみんなで朝ご飯やお昼ご飯を食べてると、なんかほんとの家族みたいになったみたい。

フリオ31歳。これからも、よろしくね。

2011年11月6日日曜日

オラ!私の名前はアンドレスだよ。


オラ。
私の名前はアンドレス。コロンビアから来ました。私、今日はとっても眠たくって寝ちゃってます。今日はアテンダントの定期研修といって年に6回しているのよ。そのうちの2回出席しないといけないみたい。私はその定期研修に参加するんだけど、なんせ眠たくって。ほんと眠たいわよ。


はい、ちょっとサービスしちゃうわ。ちょっと昨日こけちゃって肋骨をぶつけちゃって、ケ・ケ・ケ・毛・毛・毛。
でも大丈夫みたい。だって私はコロンビア代表のアンドレスだもの。



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪いい歌うたうなー、坂本九は。私のタイプなの。


ちょっと電気が暗いみたいだね。若い男の子はいるかな?



ん~、ん~、ん~、大和くんの髪の毛とってもきれい。


ん~、一番奥のあつしくん、ハンチングが似合うわ。ハンチングが似合う男、だーい好き。でも、結婚してるのよね…
でも、左の受け口の男の人もタイプなの。あー、ほんとに困るわ。



これが私の友達、尾崎さん。メインストリームで一番面白いのよ。面白い意味は事務所に来て聞いてみて。



ん~、ん~、杉良太郎はどこ出身だっけ?全然思い出せないわ。
ねぇねぇ、あなたわかる?
あー、でも肋骨が痛むわ、肋骨の上から2本目が痛む。もう。
う~ん、萩本欽一はどこ出身だっけ?


右は私の友人カロル。スサーナの介助者よ。ほんと介助者向きのから…まぁいいわ、これ以上言わない。
ほんと介助者向きのスタイルをしてるわね。
う~ん、思い出したわ!
萩本欽一は東京都台東区で、杉良太郎は神戸市長田区よ。ありがとう、カロル。グラシアス、カロル。



ところで、まだ話してるわね、スサーナは。あー、思い出してしまうわ、ステーシーを………
でも私、負けない。だって、だってアンドレスだもの。



さぁ、昔の過去なんて忘れていっぱい食べちゃえ!でも、ダイエットしないといけないのに~。



よかった、萩本欽一と杉良太郎の出身地がわかって。
今日の定期研修はずっとそれが頭の中に入って。。。。でも、スサーナいい講演したわ。
あなたなら必ずコロンビアを変えられるわ!あ!違った、スサーナはコスタリカだわ。ごめんなさい、ちょっと酔ってきちゃった。



ちょっと、私を上から撮らないで!


気が付けば、もう11時過ぎて、私はベロベ~ロ。
もうそろそろ寝ちゃおうかな?


・・・そう言えば萩本欽一はどこ・・・zzzz












2011年11月4日金曜日

Hola.Hola!! フランシスコです。

Hoia.Hola!
皆さん、僕はマイケル・ジャクソンそっくり(自称…)の

どう?似てるかい?
フランシスコ・アントニオっていうんだ。今31歳、独身さ。
みんな「フランシスコ」って呼んでくれな!

僕がフランシスコさ。
中米の真ん中へんにあるニカラグアって国から来たんだ。

ニカラグアっていえば、みんな覚えてるかい?
去年は、ボスこと「ホセ・アントニオ」、2年前は、ボラッジォこと「グスタボ」、3年前は、ダンスクイーンこと「サンドラ」が来てたんだぜ。

ちなみに、僕はボス「ホセ・アントニオ」とボラッジォ「グスタボ」が所属している「ADFIN」っていう団体で秘書をしてるんだ。

日本に来てすぐに自分の歴史の話をしたんだけど、みんな聞いてくれたかい?

発表の様子さ。
聞いてないっていう人たちの為に、簡単に説明しようかな。

いっぱい来てくれてグラシアス(ありがとう)

僕は、頸椎損傷って障害なんだ。
メインストリームにもいっぱい仲間(ケイソン)がいたよな。

僕は20歳の時に、受傷したんだ。忘れもしない2000年のことさ。
僕は川で連れと遊んでたんだ。岩場から飛び込むのがスリル満点で面白かったんだけどさ、何回目かに足が滑っちまったんだ。それで岩にぶつかっちまって背骨を骨折しちまったんだ。
山奥だったから救急車も全然来ないし、その後も病院をたらいまわしされたり、処理が悪くて47日も寝たきりだったりしてさ…
そこから、僕の障害者としての生活が始まったんだ。

今、僕はADFIMでの仕事はもちろんだけど、他にも障害者の劇団の俳優をしたり、車いすバスケットのチームに所属したり、いろいろ楽しんでるんだ。


さて、そろそろ日本での話をしようかな。

今日はカドタさんの講義だったんだ。他にも今までいっぱい講義してもらったんだけど、どの話も初めて聞く話ばっかりでさ、とってもびっくりしてるんだ。
ニカラグアに帰っても、ADFINのみんなと頑張っていこうって思ったね。

カドタさんの話はタメになるぜ。
みんな真剣だ。

あと、観光もすばらしかった。
昨日はあの有名なKyotoに行ってきたんだ。

おお、昔の日本だな。
京都、最高だぜ
後ろにいるのは介助者のフリオさ。


あと、夜景ってやつも見に行ったよ。

美しいなー。

そうそう、ホームステイもいっぱいしたな。

ハタと飲みに行ったんだ。
ハタはボラッジォだったぜ。
みんな、ホントにありがとう!!

あとちょっと余談だけど、何だかシモジさんは同じ「匂い」がするんだ。
っていうのは、僕はとってもmujeres(女性)が好きなんだけど、シモジさんも一緒だったんだ。
障害も同じだし、彼とはいい友達になれそうだ。

日本のmujeres(女性)のこと?
ここではさすがに言えないなー。また僕に聞いてくれよ!

さて、それはそうともう日本での研修も残り少なくなってしまったな。
ちょっと寂しくなるけど、ホントに面白かったぜ。

まだ僕のことあまり知らない人達、あとちょっとだけどぜひ事務所に来て僕と話しようぜ!