2015年5月29日金曜日

コロンビアからHOLA! ⑥ブカラマンガ&エル・カルメン・デ・チュクリ編




こんにちは、らち姉です。511日に無事に日本に帰ってきました。帰国後、みんなとの時間&日本食を堪能していて、帰国から2週間以上が経ってからの更新となってしまい、ごめんなさい。
 今回は帰国直前に行った、ブカラマンガとエル・カルメン・デ・チュクリという2つの町での事について書きたいと思います。55~7日の23日の出張で上記の2か所の町に行ってきました。メンバーは専門家3名と介助者として湯浅さん・良知の5名です。今回は、出張中の介助の引継ぎもかねて湯浅さんも一緒です。
 
 今回行ったブカラマンガはコロンビアで5番目に大きな町で人口は約50万人(西宮と同じくらいだね)。メデジンからは車で行ける距離ではないので、飛行機で向かいます。着いたら手配してあるワゴン車で移動になります。コロンビアは大きな山脈が南北にいくつも走っているので、長距離を車で移動するのは大変なので、飛行機を使うことが多いそうです。陸路での流通が盛んではないので、それぞれの地域が独自の文化や習慣を持っているのもコロンビアの特徴だそうです。行政もそれぞれの県によってやり方が違うことが多く、それもその地域性に合わせた形になっているんだそうです。
移送を依頼した会社が、どこからか借りてきたスクールバス。すわり心地悪すぎて、長時間は乗れそうにないよ・・・
 
 当初の予定では5日の午前中にブカラマンガ到着後、翌日の役所周りに備えてボゴタから来ているユニットの担当者のレイディーさんと打ち合わせをする予定でしたが、体調不良で短期入院することになったため、専門家3名での打ち合わせになりました。
 それ以外にも、手配したワゴン車が条件に合っていないものだったり、奥平さんの通訳として頼んだ人と会ってみると同時通訳ができない人だったり(事前に確認した時はできるって話だったのに)予定外の状況が続きます。このようなプロジェクトの業務に関わる手配・準備は業務調整と言い、上條さんの仕事です。なのでブカラマンガについて予定していたのと違うことが多発して、その調整のために上條さん大忙し。おつかれさまです~。
 
6日はサンタンデール県(ブカラマンガとエル・カルメン・デ・チュクリがある県)の知事や県の紛争被
害者の担当部署の人と会う予定です。
 
6日の朝には別のワゴンになってました。これなら大丈夫そうです!
 
 サンタンデール県のメンバーとの会議では、カバンもケータイなどはロッカーに入れなければなら
ず、写真は全く撮れ・・・。そして県知事は体調不良とのことで副知事が対応してくれました。

会議後の写真がこちら↓
役所で働いている人の中でも、紛争で障害者になった人がいました
 
次は、サンタンデール県に設置されているにユニット(被害者救済ユニット)との会議です。ここでは、紛争被害ってどんなものがあるか、紛争被害者にはどんなサービスが受かられるかなどがわかるようなパンフレットが作られていたり、実際に紛争被害にあった人がユニットのサービスを利用しながらやりたいことに取り組む様子を映像で見ることができます。紛争被害者というのは、身体的に負傷した人だけでなく精神的に傷ついた人や生活の場を奪われた人などもいて、目には見えない被害者が多く存在します。そういう人達がいるんだよ、という事を伝えるためにパンフレットを作ったり、映像で「見える化」している、ということでした。
 
右から2番目の男性がユニットの活動や紛争被害者の映像をつくっている
いわばコロンビアのちゅうげん。なかなかダンディ!!

さぁ、遅めの昼食を済ませたらエル・カルメン・デ・チュクリに移動です。
ブカラマンガの中心部を歩いて車まで移動
 
この写真↑に写っている蛍光黄色の服を着ている人、警察です!
じつは、メデジンの自宅からずっと警察が一緒です。(管轄地域によって警察が交代)
メデジン:自宅~空港 早朝や夜間は警察を付けることがJICAで義務付けられている
ブカラマンガ:初めて行くところで治安状況がわからないので、警察を付けるように言われた
という事で、今回はずっと警察官数名が同行しています。
専門家が事件に巻き込まれたり、命を落とすようなことがあれば、プロジェクトが廃止になるだけではなく、その国で仕事をしている他の専門家や協力隊員も撤退となり、JICAが長年の活動が途絶えたり、継続した関係が途絶えてしまうことになります。なのでJICAは十分な安全対策を取るようにしてるそうです。


 
ブカラマンガを出発して4時間弱、



まだ着きません。




やっとエル・カルメン・デ・チュクリの手前の町まで来ました。この町以降は道路は舗装されておらず、ガタガタ道が続きます。
 



さらに走ること1時間半。

ブカラマンガを出て約6時間後にようやくエル・カルメン・デ・チュクリに到着。

しかし、町は停電中。町に1軒しかない小さなホテルにチェックインしましたが、真っ暗。数本のろうそくの前にみんなで集まって過ごしました。20時ごろ復旧!3時間後には、また停電になってましたが、ネットも電気もないから、何もできないし、みんなすぐに寝ました。
 朝も停電が続いて、薄暗い中で水シャワー。しかもシャワーヘッドが無くて、上から落ちてくるのは水の塊。こんな時に「前に一人旅しててよかった」と思えるんです。へっちゃらでした。
 近くの朝食が食べられるお店に向かうときに、初めてこの町の様子がわかりました。(昨日は停電で真っ暗だったからね)空気がきれいで、町の人ものどかです(^^)

近くのお店まで歩いて向かう奥平さんと湯浅さん。すがすがしい感じ伝わりますかー?

町の一角では、朝からミサ?をしていました


奥平さんが住んでいるメデジンとはだいぶ違い、のどかな感じです。
食事も終え、町の教会の横にある広めの建物で顔合わせがありました。



この日からエル・カルメン・デ・チュクリで協力隊員として2年間生活することになる伊藤さん。
人口が少ないから、全員に覚えてもらえるよ、と言われていました。
 この集まりでは、市長やこの地区のユニットのスタッフだけではなく、紛争被害により障害者になった人も来ていました。

彼は地雷によって片足を失い、そこから当事者として町で使いにくい場所を改善するように求めたり、当事者の意見を反映してほしいと活動しています。
この建物の前に町の中心となる広場があり、そこを作り替える際にもバイアフリーにしてほしいと要望を出して、その意見が取り入れられたそうです。他にも、紛争で足に障害を負った女の子で活動している子もいました(写真は撮れず・・)

この時に市長さんから説明があったのは、この町の8割以上の人が紛争被害者だということ。
特産品としては、カカオや野菜などがあるがカカオをチョコレートにする工場がこの村には無いから、カカオをそのまま売っている。チョコレートにして売れれば収入になるがそれができないから安値で取引することになり、村人の収入は低い。村の役所の予算は年間4億円だけれど、生活保護と教育で予算の8割が消えて、他のことに使える予算がほとんどない、ということでした。
※ちなみに、エル・カルメン・デ・チュクリはエストラート1か2だけだそうです。
そんな話をしてくれた市長さんは、ゲリラに自分の父を殺された紛争被害者です。


この後は町の集会所に行きました。この日は、ユニットの職員が町に来て、みんなの申請を受け取ったり相談に乗る日だったので町みんなが集会所に集まっているということでした。
町のみんなにもJICAのプロジェクトのことを知ってもらおうということで、自己紹介とプロジェクトの説明をさせてもらいました。

自己紹介はスペイン語でばっちり話せるようになった奥平さん!
 そのあとは町の病院を見学させてもらいました。ここもグラナダと同じで、レベル1(軽度)の人にしか対応できないそうです。ブカラマンガまで車で5時間以上なので、グラナダ以上に大変!


そろそろ昼食の時間になりました。 この町で採れたものを使ったランチ。地元の人の手作り(^^)
牛肉はステーキとビーフジャーキーの間のような触感。クセになりそうな感じ。
 



 アボガドは味が濃厚でした。右の器に入っているのはアヒーと言って唐辛子に玉ねぎ・レモン・
アボガド・ゆで卵等を刻んで混ぜたもの。これが絶品で、作り方を教えてもらいました!
 
 
帰りの飛行機の時間があるので、昼過ぎには出発しなければいけません。短い滞在でしたが、
コロンビアで一番当事者に近くなった瞬間だったと感じました。
 

 
メデジンに帰る飛行機の中で専門家の上條さんから、今回行ったエル・カルメン・デ・チュクリで実
際に紛争にあった人の体験談を聞かせてもらいました。
 
 ある晩、ゲリラの集団が町に来て家に押し入って家族を拘束し、家族が見ている前で10代の娘
が10人以上の兵士にレイプされた話だったり、
 家族の前で父親の体に硫酸をかけて体が溶けていくのを見させられたり。

日本ではありえない内容で、衝撃的でした。

 ゲリラの目的は、殺すことではなく反抗できないように精神的に痛めつけるのが目的なんだそう
です。そして村の土地を奪いコカを育て、コカインを売って活動資金にします。コカが植えられた土
地は、その後何年も何も作れなくなるそうです。


村の人は肉体的・精神的に苦痛を味わうだけでなく、生活環境も奪われることになるんだということ
を知りました。
また、コロンビアの大きな課題となっているのが、紛争被害者の社会復帰だけでなく、ゲリラや過激
派組織にいた人達の社会復帰です。プログラムを作って取り組んでいるけれど、紛争被害者から
の反発も大きいようです。
 
 
私達は当たり前のように、安全で恐怖の無い生活ができているけれど、それは国や地域によって
は当たり前のことではないんだと実感しました。
 

 コロンビアに行く前は、治安悪いとか麻薬とかイメージしてたけれど、実際に行ってみるとそういう
言葉だけでは表せないコロンビアを感じました。
今までコロンビアの事をかんがえた事などなかったけれど、これからプロジェクトがどういう活動をしていくのか、コロンビアの紛争被害者はどうなっていくのか、コロンビアという国はどうなるのか、きになってます。

いろんなことが色々あると思うけど、まちゃこさんがんばって!!







                    
                    
                     ☆  今回のおまけ  ☆

帰りも36時間かかりました。地球の反対から帰ってくるには、それくらいかかるんですね~。伊丹空港まで迎えに来てくれたメインストリームのメンバーの顔を見て、「帰ってきたんだなぁ」と実感しました(^^)みんな、ありがとう!!


 

2015年5月5日火曜日

コロンビアからHOLA! ⑤メデジン編3

 
 

Hola! 
「常春の町」メデジンに来て1か月以上が経ちました。
常春っていっても、晴れている日は30℃以上なので、すっかり日焼けしてしまいした。

↑上記の写真は、ポブラド通りの日曜日の様子です。
いつもは車が通る道路ですが、日曜日の朝から13:00ごろまではサイクリングやランニングをする人のために開放されます。犬を連れてウォーキングする人もいますよ~。


さて、JICAのプロジェクトチームのオフィスは先日紹介しましたよね。
少しずつですがプロジェクトが動き始めています。

毎週月曜日には、専門家3人で会議をするようになっています。
事務所の部屋の隣にある談話室で真剣トークの3人

この会議ではそれぞれの仕事の状況を伝えたり、
その週にやるべきことの確認や、出張の前なら現地でやるべきことを話し合っています。

今回は、5月の前半に①ブカラマンガ、②エル・カルメン・デ・チュクリの2か所に出張で行くので、
その打ち合わせも一緒にやっていました。
その2か所の町ではベースライン調査という調査もすることになっています。

プロジェクトで「紛争で障害者になった人も社会復帰できるようにしていきたい!」って言っても、

・紛争で障害者になった人は、どこにいるの?
・その人たちは、今どんな生活をしているの?
・社会復帰をしたいと思った時にどんな事で困っているの?

というような疑問がありますよね。
そういった事を出張先で調査して、数値化したり表にしてまとめていきます。
そして調査で得られた情報は、ユニットなどの関係機関と共有しながら、
プロジェクトとしてどういう方法で問題に取り組んでいくかを決めていきます。

ベースライン調査は5月5日からの出張で初めて行われます。
なんだか私もドキドキ。


そういえば、プロジェクトの事務所はビルの2階にあるんですが、ビルの入り口には階段が4段あります。
階段のところにはいつも何人かがたむろしている
 
奥平さんは車椅子で通勤のため、スムーズにビルに入れるように日本からスロープを持ってきたんですよ。
そのスロープを出勤の時と帰るときに、守衛さんが毎回セッティングします。
※守衛さんって行っても、腰にはピストルがあります

 

初めは、スロープのセッティングにモタモタ時間がかかっていましたが、
慣れてきたら奥平さんの顔を見たら、スロープを用意してくれるようになりました。

でも、紛争被害で障害者になった人が車いすに乗ってきた場合、今までどうしてたんでしょうかねぇ??



 あと、このビルはエレベーターには
エレベーターガールならぬ
セニョール アセンソールがいます。
 (私が勝手にそう呼んでるだけ)

このおじさん、見た目はフツーだけど、
じつはすごい人!!

 このビルは結構古くて、
エレベーターも100歳くらいのおじいさんです。
1階でエレベーターに乗って「2」を押しても行きません。
一度3階や5階に昇って、降りてくるときに2階で止まる、というほう方法で行くか、
エレベーターをマニュアル運転に変えて、 止めたい位置でブレーキをするか、です。
 
そして、セニョール アセンソール は手動で2階にピタッと止めてくれます。お見事!!
これはもう職人技!!
毎日出勤するので、奥平さんのことも覚えてくれて声をかけてくれます。
 
職場への通勤には以前紹介した福祉タクシーを利用しています。
上條さん、山ちゃんはメトロを使って通勤されていますが、奥平さんはタクシーを使うようにJICAから言われています。
 
車両とホームの隙間が空きすぎているため乗り降りの際に介助が必要で自力では乗れない。(日本のように駅員さんがいないので、スロープを持ってきてくれるとかは無いです)

車内で、何かあった時に車いすでは対応できないことがおおい。(車内でもスリはいるし、集団で一人の人を狙うこともあると聞きました) 
 
そんな事があるので、奥平さんは福祉タクシーを使って通勤しています。
 
その通勤の時の風景がこちら↓
 



ゴミが捨てられている所から、食べ物を探して食べていたり、
売り物になりそうなものを探しています。

それだけではなく、何人かが道に座って集団で麻薬をしている様子も目にしました。
距離にして、事務所から徒歩10分弱のところがこんな感じです。(絶対歩いて行かないけど)

EAFIT大学で日本語教師をしているかおりさんによると、
前はメデジン中のゴミを捨てる集積所があって、
そこに小屋を建ててゴミを拾って生活している人がいたそうです。
でもゴミを集めてもそのまま放置しているので
メタンガスが発生し、空気の汚染がひどかったので、
ゴミの上に土をかぶせて山にしてしてしまったそうです。
そして、そこで生活していた人には公団を作って家を与えたのですが、
生活していく収入が無いので、セントロなどの小さなゴミ捨て場に来て、
ゴミの中から食べ物や生活用品を探してる、ということでした。

その話を聞いて、写真の人達はそういう生活をしている人たちなんだということがわかりました。

コロンビアに来てから、いろんなものを見て、いろんなことを聞いてわかったことは、
コロンビアはかなり格差があるということです。
一番上の写真のように、休日にスポーツウェアを着て体を動かし、午後からは家族でショッピングセンターに行って買い物を楽しんで、外食して帰るような人がいる一方で、
靴も履いてなくて、ゴミの中から食べ物を探し、シンナーみたいなものを吸って空腹を麻痺させて、体がぼろぼろになっていく人もいます。

そして、その格差が車で5分の距離で存在しています。

そのギャップに初めはすごく驚きました。でも生活を送っていく中で、現実なんだと思うようになりました。

コロンビアの貧困層は全人口の50%以上です。
そして紛争被害者は、全国民の約12%です。

紛争被害者と貧困は、大きく関係してるのかもしれない、と思いました。
そして、障害のある紛争被害者は、推定で約35万人といわれています。

奥平さんたちのベースライン調査が進めば、現状がわかってくるんでしょうね。
明日から、いよいよ3日間の出張です。


出張には、介助をやってくれることになった湯浅さんも一緒に行きます。
もちろん先週・先々週に介助研修をやりました!!



①外出介助
奥平さんは基本的には電動車いすで外出するのですが、簡易電動も使うことがあるので、手動に切り替えて段差をあげたり,降ろしたりの練習もしました。
湯浅さん、コツがつかむのがうまくて、ばっちりでした!!





②家事研修
料理・掃除もやりました。
料理は新人研修と同じ感じ。
掃除は、ほうきと塵取りできれいにした後にモップがけをするのがコロンビアスタイル。
掃除機は売っているけれど、使っている人はあんまりいないとか。


ちなみに湯浅さんは、芸術家で8月には東京で個展を開催予定なんだって。そして元協力隊員。

もう一人、西さんという方にも介助に入ってもらえることになりました。
あ、西さんの写真撮るの忘れた・・・・。
 
 

☆今週のおまけ☆
4月30日に出勤してみると・・・・

 壁一面に「お誕生日おめでとう」の文字が!!!

5月1日は奥平さんのお誕生日!コロンビアはメーデーで祝日になるので、1日早く職場の人たちがお祝いしてくれました。9日が誕生日の私も合わせてお祝いしてもらいました~!!
 
二人でケーキに願い事

吹き消すのも一緒
うちらすっかり仲良しですやん!!
 
コロンビアの伝統的なカバン「ワジュ」を山ちゃんからもらってました
ここの事務所に来るようになって3週間なのに、お誕生日を覚えてお祝いしてくれるなんて、
みんな優しい~!!手作り感たっぷりのお祝い、嬉しかったです。

奥平さんおめでとうございます~!!




 
 
 
 
 


2015年4月27日月曜日

おれたち平均80%ボリビアーノ・スークレ編


さて前回のブログは、ポトシの日程が終了したところで終わっていましたよね。
今回のブログはその後のスークレでの活動を書いてみたいと思います。

た)歓迎されたねまず。サントゥーサがしきってた。新しい女の子なのね。平日施設にいて休日実家に帰ってる。



か)王様ゲームとかやった。ぼく歌歌えって言われて中学の校歌歌った。柳瀬さんセクシーダンス踊ってた。ななちんのウサギ跳び。小学校一年生相手に本気出すなよ。
事務所は広くてきれいだった。ボランティアの男の子も来て雰囲気よかった。フェリーサの結婚式のビデオえんえん見てた。

た)この日は移動もあったのでこれで終わって帰った。Para ti でお土産買ったよ。















か)2日目?
た)午前中スークレのヌエバエスペランサの活動報告してくれた。
か)えーどんなんやったっけ?フィンランドのAbilisからの助成を受けた。シルビアが介助者の派遣と運営について説明してくれた。



だけど、介助者を評価する評価表みたいなシートがあってあまり意思疎通できていない感じだった。
た)健常者スタッフと介助者の区別がついてなくて、みんな障害者のコントロール下に置こうとして失敗している。
か)健常者スタッフという概念がなかった。
た)フェリーサは日本で習ったことを忠実にやろうとし過ぎておかしくなることがある。健常者は障害者の言うことを聞かないといけなくなってた。日本でも色んなやり方があるけれど、ぼくらは障害者も健常者もオープンに話ができる方がうまくいくと思うと話した。フェリーサも納得してくれてた。
た)その他アルミンダがピアカウンセリングの活動を話して、クラウディアが資金集めのキャンペーンのこと、フェリーサが協会の今後について話しした。





た)午後?ちょっとイメージ違ったね。
か)だいぶ違った。待っている間、介助者の人たちがどんどん事務所に入ってくるんだけどびっくりしたよね。
や)30人くらいだった。
か)最年少13歳だった。子供やん。
た)もともと日本とボリビアの介助者の交流みたいな話しだった。大学生から上みたいなイメージだった。
や)何回か介助したことあるイメージで、
た)介助で困ったことに相談に乗るようなイメージだった、ところが
や)Abilisのプログラムで研修受けただけの中高生がいっぱいきた。8割方だった。
た)ピュア過ぎて、夢を壊したくなった。




か)ぼくが自立生活センターの説明して、年齢層が若いこともあって障害者甲子園の話しを交えながら、柳瀬さんが熱く語った。次に舞子ちゃんが一番受けてたよね。
た)何の話ししたっけ?
か)親が当事者って事もあって、葛藤が色々あったってことを話してくれた。
や)反抗期っていうのもあったけど、障害っていう存在を自分の中で理解し始めて、嫌だけどもやっぱりお父さんが好きで、顔を隠しながら電動の後ろに乗ってスーパーに行く。スーパーに着いたら友だちに見られるのが嫌だから、店内では別行動する。でも気になるから隠れてこそこそ様子を伺っていた。それで落としたものを拾えなくて困っているので、店員さんに「あの障害者の人困ってます」って言ったって話し。
か)後ななちん?ななちんは坂出さんのこと話した。坂出さんのことを用いて言語障害をしっかり聞くことを話してた。でもまあこの日のインパクトは舞子ちゃんだったね。
た)フェリーサはいつも子供のルナちゃんを連れてくるリディアさんが子供置いて来ていたのに、なぜいっしょにつれておいでよって言わなかったか後悔したって言ってた。




た)その後質問コーナーになったけれども、シルビアがサクラを仕込んでて、今給料をもらって介助をしている人に意見を言ってもらった。それはけっこう日本でも起こっている話しで、それはそれでよかったけれども、これ高校生といっしょにする話しかな?って思った。別々にやったらよかったかな?

た)あれ?もう一日あるやん。翌日サントゥーサ家行った。
か)すごかったね。家がどこにあるか分からなかった。
や)下って言われたときにはびっくりした。そういや家あるなみたいな。
か)牛の糞はんぱなかった。野良犬はんぱねーし。
や)下るときから帰りどうするのかって思いましたよね。
た)いや帰りのことは考えないようにしてた(笑











や)モンゴルも山岳地帯だけどあんなん比にならないからな。
か)もうあっけにとられたな。障害者が住んでるんやって思った。
や)想像超えてたね。

た)その後は、また違った意味で衝撃やったね。
か)ドーナツうまかった。オレンジジュースも。後で美鈴さんに人工甘味料はんぱないって言われたけど。



か)いや凄かった。シルビアの部屋だけでぼくの部屋より大きかった。何不自由ない感じだった。






た)お父さんがシルビアのために新しくバリアフリーの家を建てて、最近できたとこだった。それを見せてくれた。3階建て?今シルビアは一階に住んでいるけれど、エレベーターが完成したら2階の部屋に移るらしい。

た)それから事務所に帰って最後のまとめをやった。



た)まとめではお宅訪問の感想や、ヌエバエスペランサの誰かが自立しないと、活動を伝えても説得力がなくなることなどを話した。
か)でも真剣に聞いてくれていた。理解はしているけれど一歩踏み出せない感じだった。

た)で途中でクリスチャンが亡くなったっていう知らせが入った。ポトシの筋ジスで第1回の全国集会から参加していた。体調崩して今回の全国集会には参加できなかった。みんな心配していた。去年同じ筋ジスの弟が亡くなってる。フェリーサはその知らせを聞いて、自立をさせないまま死なせて自分たちはいったい何をやってるんだろうと泣き出していた。そのためにもっと早く進めてがんばらないといけないと言っていた。


左が亡くなったクリスチャン真ん中が昨年亡くなったギメル






2015年4月24日金曜日

コロンビアからHOLA! ④グラナダ編 

HOLA!らち姉です。
ボリビアの全国集会のことがブログにあがってましたね~。
同じ南米大陸にメインストリームのメンバーがいるのかと思うと、なんだか不思議な気分です。
ここも空気薄いけど、ボリビアはもっと薄いんだよね。
みんな大丈夫かな~、って心配してたけど元気そうでよかった(^^)

さてさてこちらコロンビアでは、地方の関係者との打ち合わせと関係機関の見学に行きました。
行き先は、メデジンから車で2時間のところにあるグラナダという小さな町です。
奥平さんを含む専門家3名
ユニットの担当者 レイディーさん
通訳のホルヘさん
介助者 らち
合計6名で、向かいました。

道路は舗装されているとはいえ、よくガタガタゆれます。
到着したころには、すでに奥平さんは疲れている様子。。
奥平さん、大丈夫??

今回はリフト付きミニバスをチャーターしました。(って言っても、予約したのは上條さんですけど)
このリフト付きバスはメデジンに2台あるそうです。
 グラナダの市役所→
ここで打ち合わせ。

到着後、すぐに市役所で関係者と挨拶を
済ませてプロジェクトメンバーの紹介と活動内容を説明し、グラナダの活動状況を聞きました。
 






 ここで今回のJICAのプロジェクトをよく知らない人のために、簡単なおさらい。
今回奥平さんがどうしてコロンビアに来たかといいますと、
               JICAのプロジェクトのリーダーになったからです!!!

 プロジェクトの名前は
障害のある紛争被害者の
              ソーシャルインクルージョンプロジェクト』


プロジェクト名ながっ!!そして、内容がよくわからん!!!   
                            と思った人のためにわかりやすく解説します(^^)

コロンビアでは、国内でずっと争いがあったのは知っていますか?
政府と対立している非合法武装勢力(主に3つの組織)があります。
(1)左翼反政府ゲリラ
  (コロンビア革命軍(FARC)、民族解放軍(ELN)、4 月19 日運動(M‐19)が存在)
(2)パラス(元軍人や元ゲリラ等武器の扱いに成熟したプロ) 
(3)麻薬密造・密輸組織(いわゆる麻薬マフィア)

これらの組織が政府と争うだけでなく、組織と組織でも争いが絶えずあって、
身代金誘拐、襲撃、紛争等が40年とか50年も続いていました。

でも政府は国内で紛争があることをずっと認めませんでした。
政府が認めないということは、紛争で被害にあっても国からの補償がないってことです。
家族が殺されたり、家が奪われて住む場所がなくなっても、国は助けてくれないわけです。

でも1997年頃から「コロンビア国内に紛争が存在する」と政府が認めて、
被害にあった人には、国が補償するということが決まり、法律も作られました。
そして、それに対応する国の機関が作られました。それが、『被害者ユニット』です。
被害者ユニットは、身分証明部門や土地返還部門、教育部門など、担当分野が細かく分かれて活動しています。(たしか25部門に分かれていたはず)

そして今回のJICAのプロジェクトは、その紛争被害で障害者になった人(もともと障害者で、紛争被害にあった人も含む)に対して、行っていくものです。
紛争で障害者になった人は、他の人よりも社会復帰がより困難だったり、
社会から排除される状況があります。
そういう障害者をエンパワーしたり、インクルージョンすることで紛争被害にあったどんな人でも、また普通の生活ができるようにしてこう、というプロジェクトです。

そして、このプロジェクトは政府の作った「被害者ユニット」と連携して進めていくことになります。
今回の訪問先のグラナダも数年前に紛争があったエリアで、紛争被害者が多く存在する地域です。
グラナダ地域の紛争被害者の様子や、社会復帰のためにどのようなサービスがあるのかなどを聞くために来ました。

早速、会議が始まります。
この会議には、市長さん(一番奥に座っている男性)も参加していました。

この写真では見えていませんが、奥平さんお気に入りのホルヘさんが通訳で来ています。同時通訳ってすごいね~。
会議の後、町の様子を見てまわることになりました。
このグラナダは坂が本当に多く、しかもかなり急な坂です。
えげつない坂道。歩道は歩道っていうより、階段。。。。。
この写真を見てもわかるように、町の中には急な坂道がいくつもあります。
これ、手動車いすだったら登れないんじゃないかとおもう。。。。

奥平さんはこの町のことを知っていたので(前に2回ほど来たことがあるそうです)
今回は電動車いすで来ました。


この↓写真をみると手前の建物がレンガつくりになっているのがわかるますよね?
(奥の建物は白なので、比較してみてください)

このレンガ造りになっている建物の場所は2000年に、もともとあったビルが紛争によって
爆破されて、立て直したものということでした。
建物の前に停めてあった車がいきなり爆発したそうです。
でもその日は休みの日で、ここら辺の人は郊外で休暇を過ごしていたため、
その時の爆発で亡くなった人はいなかったということでした。

それでも、暮らしていた家がいきなり無くなったら、そのあとの生活は大変だっただろうな。



町にある病院の中も見学させてもらえることになりました。
 
病室は基本的にすべて個室でした。
これ↓は処置室になります。

 ここはレベル1(軽度)の人しか対応できません。
レベル2~4(中度~重度)にあたる人は、ここでは対応できないので、別の町の大きな病院に搬送することになるそうです。
グラナダから一番近くて大きな街ってメデジンになるんじゃないかな。
だとしたら、車で2時間はかかります。(田舎町なので、ヘリコプターとかはもちろん無いです)
重度の人にとって2時間は、生死にかかわってきますよね。


病院の見学が終わり通りに出ると、町の人が話しかけてくれました。
日本人、電動車いす、なんていうのがめずらしいんですって。
「何しに来たの?」と聞かれて、奥平さんがプロジェクトの説明をしていました。
おじいちゃん、うんうんってうなずきながら聞いていました。


次は、子供の心のケアを行っている団体を見学させてもらいました。
電動車椅子を降りて、細い道を渡ります。奥平さん落ちんといてね
 入ってみると奥に部屋が続いていて、細長いつくりになっています。
紛争被害によって両親や片親を亡くした子供が憎しみや怒りなどため込んで非行に走ったり、
仕返しのために武装組織に入ったりするのをくい止めるために、心のケアを中心に行っています。
子供は週に1回~2回ここにきて過ごすそうです。
今は、紛争被害にあった子供だけでなく、何かしらストレスを抱えている子供を受け入れていて、400人の子供が来ているそうです。
400人の子供が週に1回ずつ来たとしても、1日60人くらい。すごい数だな~。
しかもここで働いている人は全員ボランティアなんだって。


















 
次は、被害者ユニットとJICAが一緒に仕事をする予定になる場所を見せてもらいました。
奥平さんに「車いすで使いにくいところはないですか?」「トイレは今のままで使えますか?」と
確認していました。
建物の入り口のスロープが狭く、段差があるので、それを解消してもらうように伝えました。
次回行ったときは、入りやすくなってるはずです(^^)

お昼ご飯を済ませたところに、地元のテレビ局の取材が来ました。
このプロジェクトのことを、地元の人に知ってもらういい機会になりました。


そのあとは、この町の女性の自立にも話が及び、
最近取り組みとして始めた、コーヒー販売について聞きました。
この地域で取れたコーヒーを町の女性たちが袋詰めにして、子供たちがパッケージのラベルをはさみで切り取って貼って、販売しているそうです。
毎週10キロの限定販売です。

すごく香りのいいコーヒーだったので、思わず「買いたいです!」って言って、買って帰ってきました。
事務所へのお土産にするので、気になる人は5月10日以降にメインストリーム協会に飲みに来てください。笑
グラナダで生産しているものを説明してくれました
 外に出ると、さっきうろうろしていたのが噂になったのか、
子供たちが寄ってきました。
みんなスペイン語でいろいろ話しかけてくれます

「私、スペイン語で言われてもわかんないわよ~」
と言いつつ、子供たちに囲まれて嬉しそうな奥平さん。
 「5月に来るよ」と片言のスペイン語でいうと
「うんうん、何日?」と何となくコミュニケーションがとれている?!
 


 奥平さんが移動すると、自転車で一緒についてきます。

奥平さんのお互い子供たちも楽しそう。
子供たちが素朴でカワイイわ。
最後は、紛争被害者の記念館に行きました。
残念ながらここは階段で、奥平さんも1日中車いすを運転していて疲れてしまったので、
外で待つことにしました。

中の様子はこんな感じ
 なにも知らずに行ったら「のどかな田舎町だったな」としか思わなかったと思います。
いろんな説明を聞いていく中で、グラナダの町に紛争が起こって、大変な思いしながら復興していったのだと思いました。

 今日訪問したのはグラナダの中心部でしたが、グラナダエリアは広くて、こんな↑ところも含まれています。
何か手続きしようと思ったら、数時間馬に乗ってグラナダの中心部にある役所に来るそうです。

残念ながらグラナダの中心部では障害者の人に会うことはありませんでした。
もっと田舎のエリアに障害者の人はいると思う、と被害者ユニットの人が言ってました。
そういう人を探していくことから、このプロジェクトは始まります。

                       ☆今回のおまけ☆

ついに奥平さんの家が決まりました~。
車いすで生活ができて、JICAの安全基準もクリアした家!!
18日にようやく引っ越しができました。
家具付きの家なのですが、引っ越しと同時に食器の数や家の備品が何がいくつあるか(ゴミ箱の数から、タオル掛け、鍋式まで)全部確認するインベンタリオという作業がありました。
あまりの確認の細かさに、奥平さんお疲れ・・。
 やっと荷物もほどいて、自分の家でリラックスできました~(^^)
1か月に引っ越し4回・・・。
ほんとに奥平さんお疲れ様でした。
これからはここで、生活ですね。
中村のお母さんも引っ越し大活躍でした