2014年11月30日日曜日

志を中東へ2

「志注入」
 まるでアントニオみたいなこの言葉が今回は耳に張り付いてる。

障害は個人やその家族の問題ではない。社会の問題である。
極論だけど、もしこの世界に車椅子の人間しか存在しなければ、階段なんて存在しなかっただろう。健常者は階段が好きなのだ。今まで文化を作ってきた健常者たちは障害者をほったらかして街を作ってきたのだ。
そのうち誰かが障害者に優しい街を作ってくれる。そんなことはありえない。
障害者自身が声をあげていかなくちゃいけないんだ。



【2日目】は街に出てみることになった。
障害者になって2年ほどの彼らが外出できているのだろうか?
気負いや、恥ずかしがって出られないんじゃないだろうか。
そして障害者にとって使いにくいところはないか考えてもらう。そのための外出。
本当はダウンタウンに行こうとしていたんだけど。
外出なんかしてないんだろうなぁという予想は大外れ。
「なんでよりによってダウンタウンなんだ?いつも行ってるのに」という参加者の意見もあったので、普段行ってないショッピングモールに行くことになりました。
集合場所に到着

なんとリフトまで付いてる。
こんな大きなバスで送迎
































ここはバリアフリーにできていて問題となるところを見つける方が大変だった。それに何よりここは売っているものが日本以上に高くてあまり買い物できなかったんじゃないかな?

この日の目的を話し、グループに分かれます。
かどっさんが一番いいキャラだという彼はたくさん発言する。



かなりバリアフリーなショッピングモールだったけど、トイレが使いにくかったり、手すりがなかったりと使いにくい所をみんなが意見を出し合った。
せっかくなので、「改善を要望しにいこうか?」という話になったんだけど、「私たちはヨルダン人じゃないから」と消極的な意見があったり時間もないので今回は見送りました。
 


【三日目】はディスカッション

障害者になって嫌な経験をしたというテーマ
・タクシーから乗車拒否を受ける
・体が痛いのに役所で長時間待たされた
・教育が受けられなくなった
・階段が多くて移動できない
・バリアフリーな家が見つけられない
・することが何もない
・医療を受けられるところが少ない
・かわいそうに見られたり、自分でできることまで先回りされる。過保護に扱われる。
・抗鬱剤などを処方される
・道の横断が難しい
・車椅子のメンテナンスができない
・恥ずかしくて外に出られない人もいる
・自分でできることができなくなった。職を失った
・義足が合わない

障害者になって良かったこと
・新しい友達ができた
・神からの罰だと思う、これで罪をつぐなえた。
・怪我した当初はいろいろな人に助けられた、今度は自分がサポートをする。
・怪我してからいろいろな人がから話を聞くことでかしこくなれた。
・前向きな考え方を持つことができるようになった。

アラビア語は右から左に書いていく

この後男性と女性に分かれてディスカッションをすることに
やはり女性は男性の前で意見が言いにくいということもあるし、何よりお互いに性に関することは異性がいると話しにくい。

ミドリくん(あだ名)はいつもしんどそうなんだけど、
男性だけのディスカッションでは意見をしてました。

トイレの問題、Sexの問題。やっぱ下ネタ大好きな男衆。
怪我をしてから最も大きな問題はここにあると言っても過言ではないですね。
それでも、その事で悩んでしまい人生がつまらなくなってしまう方がずっとつらいことだと思う。受け入れるにはもう少しかかるかもしれない。
今すぐに障害を受容するための考え方を理解し切り替えができるとは思えないけど、きっとこの先「あんなこと言っていたな、やっとわかった」って日が来ると思う。


しかし...
どうも話がのって来ない、みんなが聞きたい何かはもっと違うところにあるようだ。
ディスカッションの内容が「これからどうしていくのか?」ということに変わる。
嬉しいことに彼らはメインストリーム協会を作りたいと言ってくれる。
それでも、その話の先には彼らのとんでもない生活の実態が見えてくることになった。

【彼らの生活】
聞いていた話
受傷→シリアからヨルダンに避難→治療等から難民キャンプから施設へ→キャンプに比べ支援は手薄だけど治療もできなんとか生活できている。
ということだった。

彼らの話
受傷→シリアからヨルダンに避難→難民キャンプでは生きていけない→保証人を探しアパートをなんとかして借りる→4度の引越しを余儀なくされる→親戚などから支援をもらい明日をもしれない生活を送っている。(NGO団体等からの支援は一切ない)
治療費も薬を買うお金も自分たちでなんとか集めている。


今にいたる話をしはじめる彼ら
三日目のワークショップはここで終了。
この後、彼らの施設なのかアパートなのかでもう少し詳しく聞く事になった。




夜に彼らのアパートに向かう




大歓迎!(生活費大丈夫?)

実は彼36歳。シンドラーのリスト的存在かもしれない。

彼らの住まいで大歓迎を受けた、生活費は大丈夫か?と思ってしまうけどとっても嬉しかった。
ここでもやはり生活が厳しいこと、支援はほとんどゼロだということを伝えてくれた。本当のところどうなのかよくわからなくなったけど、嘘とも思えない。
ホテルに帰ってきて明日の打ち合わせ。後ろで立ってるカナコはブログ作成中


【最終日】
ビデオ上映中






 最終日はメインストリームの活動をビデオを使って知ってもらうところから。
文化の似ていそうなパキスタンでの活動も紹介。
 難民という立場で声をあげるのはなかなか難しい。支援もなく生活も大変だということも分かった。それでも、日本からきた僕らは外国であるヨルダンでこうして声をあげている。難民だからと肩身の狭い思いをしてもきっと活動はできると思う。

 この後活動するための資金をどうやってみんなで集めようか考えるディスカッションのようなことをした。現実的にできるかどうか、あとはやってみるしかないんじゃないかというところまで。
 その資金で
・ネットワークを作りたい。
・精神的なサポートができるようになりたい。
・バリアフリーにしていきたい。
・職業訓練を受けたい。
・マスコミに出てしまうとシリアにいる家族に影響をあたえてしまうかもしれないから難しいところもある。だけどラジオとかそういったところで社会に伝えていくことはできそう。
というようなことが話し合われた。

【ワークショップ終了】




日本でも障害者がただお金をくれと言ったってだれも相手にしてくれない。
誰も変えてくれない住みにくい社会を自分たちで変えようとする活動だったらきっと協力がもらえると思う。
いつかヨルダンとシリアに行くことがあったとして、なにもバリアを感じない国になっていると嬉しい。
そして、バリアを無くしてきたのは彼らだったって事になっていてほしいな。

また会いましょう!!



【番外編】
この志注入で一番注入されたのは実はこの人!
「いやーJICAと板挟みで正直大変でしたよぉ」
メインストリームの無茶振りとJICAをつないでくれた元ヨルダンに派遣された元協力隊員の上岡さん。現在はJICAの人間開発部。本当に彼のおかげで美味しいヨルダン食にも出会えたし、僕たちの活動を理解してくれてとってもやりやすかったです。
メインストリームの事好きになってくれて、彼との出会いがある意味最大の収穫だったかも!。
是非これからも長く付き合ってほしいなぁと思います。
毎日の茶目っ気が見られないのがさみしー

上岡さんのお勧め店

ヨルダン飯!!(上岡プロデュース)

上岡さんいなかったら、こんなメニューわかるはずなし



               
「スーパーで何買うねん」と女性陣を待つ大将


【まさかの出会い】
このCAさん誰かわかります?
2年前に中南米のスペイン語通訳を手伝ってくれた金子さん!!
JALで働いていたことは知っていましたが、帰りの飛行機でばったり遭遇。
素敵なキャビンアテンダントになってましたぁ。またどこかで会えるといいですねぇ。

機内でカドっさんの車椅子のブレーキが片方なくなっちゃったけど、この穏やかな表情だからまぁいっか。 



以上今回のブログはヒロシでした。

2014年11月26日水曜日

メインストリーム 中東初上陸


アッサラーム アライクム!←アラビア語でこんにちは!
アナーイスミー かなこ ←アラビア語で私の名前はかなこです



お久しぶりの志日記です。
突然聞いたこともないようなアラビア語で初めてみましたが、、、
今回は中東の国ヨルダンからお届けします。


なぜまたヨルダンに来たかというと。。

ヨルダンは、お隣の国シリアの内戦から逃げてくる難民をたくさん受け入れいて、
その難民の中には内戦の影響で障害者になった人もたくさんいます。

その内戦の影響で急に障害者になった人たちが、今後生きる意欲を持てるようにピアカンを通して元気づけられないかと、JICAが依頼があり、今回のヨルダン訪問となりました。

しかし、障害を負った理由は、「ミサイルの破片が飛んできて」とか「銃撃」といった人たち。
そもそも戦争の影響で障害者になった人たちにどんなサポートができるのか、
障害者たちはどんなモチベーションなのかとか、絶望的?めっちゃ落ち込んでるのか?
ピアカンはうちの得意分野ではないけどとか。
今までとは勝手が違い、正直どうなるんやろか?という思いを持ちながらの出発となりました。

あ、今回のメンバーは、かどた・新井・まっちゃん・ざっきー・かなこです。
集合写真的なものがひとつもなかった・・・・




さて、バンコクを経由して20時間くらい?かけて、ヨルダンの首都アンマンにやってきました。
アンマンはどんな街かというと。かなり発展しています。
道路の作りもいいし、大きいビルがどんどん建設されていっているそうです。
隣の国で戦争をしているとは思えないですね。



道きれいですね
ここらへんはちょっと高級住宅街みたいですが

奥に高ーいビルがありますよね



朝5:00にアンマン着、ホテルに7:00には着いて少し休んで、お昼には、
まずアンマンの街へ!!
ワークショップ2日目に街にでかけてみるというプログラムがあるので、
その下見がてら、アンマンの街にでかけました。
候補①ショッピングモール
バリアフリーすぎておもんないなぁ
しかもこの日は金曜で、午前中はみんなお祈りをしているから人いないし、店も開いていなかった
トイレが使えるかもチェック
 





候補②バーベキュー場
ヨルダン人の休日は家族でバーベキューを楽しむそうな。



しかし、地面がったがたで車いすでは動きにくい。。。

候補③ダウンタウン 
道も結構整っててきれいやん



私たち的に一番楽しんだのはダウンタウン。お店がいっぱいあって、たくさん人で賑わっていました。

道幅も狭く危ないから避けたいというJICA側から聞いていたので、どんだけ難しいのかと思っていると、歩道にあがる段差にはスロープがあるところも多く、歩道も整備されていてきれりだったので、全然動けました。

「ここで、車いす何十台もでうろついたらインパクトあっておもしろおいやろなー」
「車いすで街中を歩くことは恥ずかしがるようなことじゃないんやでー」といったことが伝えられるように、雨でないかぎりは2日目のプログラムは、ダウンタウンで行うことに決まり!

ヨルダンは、金、土曜が休日らしく、金曜の午前中にみんな家でお祈りをしているため、街はしずまりかえり、お祈りをしてから街にくりだすそうです。なので私たちがぶらついていた金曜の夜の街が一番盛り上がるそうです。




翌日は男性施設訪問
ワークショップの前に、参加者に会えるということで、男性障害者が集まって生活している施設を訪問しました。
アラブの文化では、家族でもない男性と女性が同じ建物の中で、いっしょに暮らすなんてことはありえないため、男性だけの施設と女性だけの施設に分かれています。今回は、男性の施設2か所に訪問しました。

いかにもアラブってかんじの方。
この施設をつくった方で、
ざっきー姉さんと同じ歳だそうです。





どんだけ落ち込んでる人たちなんかなぁと思いきや、若くて元気そうな障害者たちが、私たちを歓迎してくれました。
ほとんどのメンバーがせき損で、ケイソンも数名といった感じ。年齢も20代前半といった、元気で動けそうな人たちでした。

同じ障害のかどたさん新井さんに、みんな興味津々。
私たちが自己紹介を順番にしているのを遮り、
「障害を負った理由は?」
「障害者になってどんな困難があったのか」
「リハビリはしているのか」などの質問が飛んできます。

さらには、「僕たちのことを知ってほしい」と。

積極的な人たちの結構いるように感じ、おっと今回のヨルダン訪問、おもしろくなるんじゃなかと思いました。



2つ目の施設 1つ目の施設よりおとなしめな様子

センターによって雰囲気は変わるもんですねー




さてさて、金曜、土曜とお休みが終わり、
ワークショップの1日目が始まりました!!

かどたさんと新井さんが自分史を話し、障害とはなにか、新しい自立の考え、障害をどう受け入れるかなどを伝えました。

わかりやすく言ったら、友達になりにきました と言うかどたさん

障害者になって40年、その中で自分の考えが変わってきたことを伝えます



日本での自立生活のビデオも見せて
介助者を使って生活することを理解してもらいます



新井さんも障害受容や介助者を使っての自立生活について自分の経験を伝えます

男性20名、女性7名の参加



今回のヨルダン訪問では、4日間のワークショップを行い、障害当事者のグループを作ることが目的となっています。
ここの人たちに、新しい考えを知ってもらい、何かが始まることがあるのかなと想像し、すこしワクワクしてきました。

参加者の中から、日本の医療技術はどこまで高いのか、自分たちもその医療を受けられるのか、日本のでは治療して歩けるようになった人はいるのか、などを質問してくる人もいて、
まだまだ障害を治すという考えから離れられない参加者も中にはいましたが、この4日間をきっかけに考え方を変えていくぞー