2015年4月27日月曜日

おれたち平均80%ボリビアーノ・スークレ編


さて前回のブログは、ポトシの日程が終了したところで終わっていましたよね。
今回のブログはその後のスークレでの活動を書いてみたいと思います。

た)歓迎されたねまず。サントゥーサがしきってた。新しい女の子なのね。平日施設にいて休日実家に帰ってる。



か)王様ゲームとかやった。ぼく歌歌えって言われて中学の校歌歌った。柳瀬さんセクシーダンス踊ってた。ななちんのウサギ跳び。小学校一年生相手に本気出すなよ。
事務所は広くてきれいだった。ボランティアの男の子も来て雰囲気よかった。フェリーサの結婚式のビデオえんえん見てた。

た)この日は移動もあったのでこれで終わって帰った。Para ti でお土産買ったよ。















か)2日目?
た)午前中スークレのヌエバエスペランサの活動報告してくれた。
か)えーどんなんやったっけ?フィンランドのAbilisからの助成を受けた。シルビアが介助者の派遣と運営について説明してくれた。



だけど、介助者を評価する評価表みたいなシートがあってあまり意思疎通できていない感じだった。
た)健常者スタッフと介助者の区別がついてなくて、みんな障害者のコントロール下に置こうとして失敗している。
か)健常者スタッフという概念がなかった。
た)フェリーサは日本で習ったことを忠実にやろうとし過ぎておかしくなることがある。健常者は障害者の言うことを聞かないといけなくなってた。日本でも色んなやり方があるけれど、ぼくらは障害者も健常者もオープンに話ができる方がうまくいくと思うと話した。フェリーサも納得してくれてた。
た)その他アルミンダがピアカウンセリングの活動を話して、クラウディアが資金集めのキャンペーンのこと、フェリーサが協会の今後について話しした。





た)午後?ちょっとイメージ違ったね。
か)だいぶ違った。待っている間、介助者の人たちがどんどん事務所に入ってくるんだけどびっくりしたよね。
や)30人くらいだった。
か)最年少13歳だった。子供やん。
た)もともと日本とボリビアの介助者の交流みたいな話しだった。大学生から上みたいなイメージだった。
や)何回か介助したことあるイメージで、
た)介助で困ったことに相談に乗るようなイメージだった、ところが
や)Abilisのプログラムで研修受けただけの中高生がいっぱいきた。8割方だった。
た)ピュア過ぎて、夢を壊したくなった。




か)ぼくが自立生活センターの説明して、年齢層が若いこともあって障害者甲子園の話しを交えながら、柳瀬さんが熱く語った。次に舞子ちゃんが一番受けてたよね。
た)何の話ししたっけ?
か)親が当事者って事もあって、葛藤が色々あったってことを話してくれた。
や)反抗期っていうのもあったけど、障害っていう存在を自分の中で理解し始めて、嫌だけどもやっぱりお父さんが好きで、顔を隠しながら電動の後ろに乗ってスーパーに行く。スーパーに着いたら友だちに見られるのが嫌だから、店内では別行動する。でも気になるから隠れてこそこそ様子を伺っていた。それで落としたものを拾えなくて困っているので、店員さんに「あの障害者の人困ってます」って言ったって話し。
か)後ななちん?ななちんは坂出さんのこと話した。坂出さんのことを用いて言語障害をしっかり聞くことを話してた。でもまあこの日のインパクトは舞子ちゃんだったね。
た)フェリーサはいつも子供のルナちゃんを連れてくるリディアさんが子供置いて来ていたのに、なぜいっしょにつれておいでよって言わなかったか後悔したって言ってた。




た)その後質問コーナーになったけれども、シルビアがサクラを仕込んでて、今給料をもらって介助をしている人に意見を言ってもらった。それはけっこう日本でも起こっている話しで、それはそれでよかったけれども、これ高校生といっしょにする話しかな?って思った。別々にやったらよかったかな?

た)あれ?もう一日あるやん。翌日サントゥーサ家行った。
か)すごかったね。家がどこにあるか分からなかった。
や)下って言われたときにはびっくりした。そういや家あるなみたいな。
か)牛の糞はんぱなかった。野良犬はんぱねーし。
や)下るときから帰りどうするのかって思いましたよね。
た)いや帰りのことは考えないようにしてた(笑











や)モンゴルも山岳地帯だけどあんなん比にならないからな。
か)もうあっけにとられたな。障害者が住んでるんやって思った。
や)想像超えてたね。

た)その後は、また違った意味で衝撃やったね。
か)ドーナツうまかった。オレンジジュースも。後で美鈴さんに人工甘味料はんぱないって言われたけど。



か)いや凄かった。シルビアの部屋だけでぼくの部屋より大きかった。何不自由ない感じだった。






た)お父さんがシルビアのために新しくバリアフリーの家を建てて、最近できたとこだった。それを見せてくれた。3階建て?今シルビアは一階に住んでいるけれど、エレベーターが完成したら2階の部屋に移るらしい。

た)それから事務所に帰って最後のまとめをやった。



た)まとめではお宅訪問の感想や、ヌエバエスペランサの誰かが自立しないと、活動を伝えても説得力がなくなることなどを話した。
か)でも真剣に聞いてくれていた。理解はしているけれど一歩踏み出せない感じだった。

た)で途中でクリスチャンが亡くなったっていう知らせが入った。ポトシの筋ジスで第1回の全国集会から参加していた。体調崩して今回の全国集会には参加できなかった。みんな心配していた。去年同じ筋ジスの弟が亡くなってる。フェリーサはその知らせを聞いて、自立をさせないまま死なせて自分たちはいったい何をやってるんだろうと泣き出していた。そのためにもっと早く進めてがんばらないといけないと言っていた。


左が亡くなったクリスチャン真ん中が昨年亡くなったギメル






2015年4月24日金曜日

コロンビアからHOLA! ④グラナダ編 

HOLA!らち姉です。
ボリビアの全国集会のことがブログにあがってましたね~。
同じ南米大陸にメインストリームのメンバーがいるのかと思うと、なんだか不思議な気分です。
ここも空気薄いけど、ボリビアはもっと薄いんだよね。
みんな大丈夫かな~、って心配してたけど元気そうでよかった(^^)

さてさてこちらコロンビアでは、地方の関係者との打ち合わせと関係機関の見学に行きました。
行き先は、メデジンから車で2時間のところにあるグラナダという小さな町です。
奥平さんを含む専門家3名
ユニットの担当者 レイディーさん
通訳のホルヘさん
介助者 らち
合計6名で、向かいました。

道路は舗装されているとはいえ、よくガタガタゆれます。
到着したころには、すでに奥平さんは疲れている様子。。
奥平さん、大丈夫??

今回はリフト付きミニバスをチャーターしました。(って言っても、予約したのは上條さんですけど)
このリフト付きバスはメデジンに2台あるそうです。
 グラナダの市役所→
ここで打ち合わせ。

到着後、すぐに市役所で関係者と挨拶を
済ませてプロジェクトメンバーの紹介と活動内容を説明し、グラナダの活動状況を聞きました。
 






 ここで今回のJICAのプロジェクトをよく知らない人のために、簡単なおさらい。
今回奥平さんがどうしてコロンビアに来たかといいますと、
               JICAのプロジェクトのリーダーになったからです!!!

 プロジェクトの名前は
障害のある紛争被害者の
              ソーシャルインクルージョンプロジェクト』


プロジェクト名ながっ!!そして、内容がよくわからん!!!   
                            と思った人のためにわかりやすく解説します(^^)

コロンビアでは、国内でずっと争いがあったのは知っていますか?
政府と対立している非合法武装勢力(主に3つの組織)があります。
(1)左翼反政府ゲリラ
  (コロンビア革命軍(FARC)、民族解放軍(ELN)、4 月19 日運動(M‐19)が存在)
(2)パラス(元軍人や元ゲリラ等武器の扱いに成熟したプロ) 
(3)麻薬密造・密輸組織(いわゆる麻薬マフィア)

これらの組織が政府と争うだけでなく、組織と組織でも争いが絶えずあって、
身代金誘拐、襲撃、紛争等が40年とか50年も続いていました。

でも政府は国内で紛争があることをずっと認めませんでした。
政府が認めないということは、紛争で被害にあっても国からの補償がないってことです。
家族が殺されたり、家が奪われて住む場所がなくなっても、国は助けてくれないわけです。

でも1997年頃から「コロンビア国内に紛争が存在する」と政府が認めて、
被害にあった人には、国が補償するということが決まり、法律も作られました。
そして、それに対応する国の機関が作られました。それが、『被害者ユニット』です。
被害者ユニットは、身分証明部門や土地返還部門、教育部門など、担当分野が細かく分かれて活動しています。(たしか25部門に分かれていたはず)

そして今回のJICAのプロジェクトは、その紛争被害で障害者になった人(もともと障害者で、紛争被害にあった人も含む)に対して、行っていくものです。
紛争で障害者になった人は、他の人よりも社会復帰がより困難だったり、
社会から排除される状況があります。
そういう障害者をエンパワーしたり、インクルージョンすることで紛争被害にあったどんな人でも、また普通の生活ができるようにしてこう、というプロジェクトです。

そして、このプロジェクトは政府の作った「被害者ユニット」と連携して進めていくことになります。
今回の訪問先のグラナダも数年前に紛争があったエリアで、紛争被害者が多く存在する地域です。
グラナダ地域の紛争被害者の様子や、社会復帰のためにどのようなサービスがあるのかなどを聞くために来ました。

早速、会議が始まります。
この会議には、市長さん(一番奥に座っている男性)も参加していました。

この写真では見えていませんが、奥平さんお気に入りのホルヘさんが通訳で来ています。同時通訳ってすごいね~。
会議の後、町の様子を見てまわることになりました。
このグラナダは坂が本当に多く、しかもかなり急な坂です。
えげつない坂道。歩道は歩道っていうより、階段。。。。。
この写真を見てもわかるように、町の中には急な坂道がいくつもあります。
これ、手動車いすだったら登れないんじゃないかとおもう。。。。

奥平さんはこの町のことを知っていたので(前に2回ほど来たことがあるそうです)
今回は電動車いすで来ました。


この↓写真をみると手前の建物がレンガつくりになっているのがわかるますよね?
(奥の建物は白なので、比較してみてください)

このレンガ造りになっている建物の場所は2000年に、もともとあったビルが紛争によって
爆破されて、立て直したものということでした。
建物の前に停めてあった車がいきなり爆発したそうです。
でもその日は休みの日で、ここら辺の人は郊外で休暇を過ごしていたため、
その時の爆発で亡くなった人はいなかったということでした。

それでも、暮らしていた家がいきなり無くなったら、そのあとの生活は大変だっただろうな。



町にある病院の中も見学させてもらえることになりました。
 
病室は基本的にすべて個室でした。
これ↓は処置室になります。

 ここはレベル1(軽度)の人しか対応できません。
レベル2~4(中度~重度)にあたる人は、ここでは対応できないので、別の町の大きな病院に搬送することになるそうです。
グラナダから一番近くて大きな街ってメデジンになるんじゃないかな。
だとしたら、車で2時間はかかります。(田舎町なので、ヘリコプターとかはもちろん無いです)
重度の人にとって2時間は、生死にかかわってきますよね。


病院の見学が終わり通りに出ると、町の人が話しかけてくれました。
日本人、電動車いす、なんていうのがめずらしいんですって。
「何しに来たの?」と聞かれて、奥平さんがプロジェクトの説明をしていました。
おじいちゃん、うんうんってうなずきながら聞いていました。


次は、子供の心のケアを行っている団体を見学させてもらいました。
電動車椅子を降りて、細い道を渡ります。奥平さん落ちんといてね
 入ってみると奥に部屋が続いていて、細長いつくりになっています。
紛争被害によって両親や片親を亡くした子供が憎しみや怒りなどため込んで非行に走ったり、
仕返しのために武装組織に入ったりするのをくい止めるために、心のケアを中心に行っています。
子供は週に1回~2回ここにきて過ごすそうです。
今は、紛争被害にあった子供だけでなく、何かしらストレスを抱えている子供を受け入れていて、400人の子供が来ているそうです。
400人の子供が週に1回ずつ来たとしても、1日60人くらい。すごい数だな~。
しかもここで働いている人は全員ボランティアなんだって。


















 
次は、被害者ユニットとJICAが一緒に仕事をする予定になる場所を見せてもらいました。
奥平さんに「車いすで使いにくいところはないですか?」「トイレは今のままで使えますか?」と
確認していました。
建物の入り口のスロープが狭く、段差があるので、それを解消してもらうように伝えました。
次回行ったときは、入りやすくなってるはずです(^^)

お昼ご飯を済ませたところに、地元のテレビ局の取材が来ました。
このプロジェクトのことを、地元の人に知ってもらういい機会になりました。


そのあとは、この町の女性の自立にも話が及び、
最近取り組みとして始めた、コーヒー販売について聞きました。
この地域で取れたコーヒーを町の女性たちが袋詰めにして、子供たちがパッケージのラベルをはさみで切り取って貼って、販売しているそうです。
毎週10キロの限定販売です。

すごく香りのいいコーヒーだったので、思わず「買いたいです!」って言って、買って帰ってきました。
事務所へのお土産にするので、気になる人は5月10日以降にメインストリーム協会に飲みに来てください。笑
グラナダで生産しているものを説明してくれました
 外に出ると、さっきうろうろしていたのが噂になったのか、
子供たちが寄ってきました。
みんなスペイン語でいろいろ話しかけてくれます

「私、スペイン語で言われてもわかんないわよ~」
と言いつつ、子供たちに囲まれて嬉しそうな奥平さん。
 「5月に来るよ」と片言のスペイン語でいうと
「うんうん、何日?」と何となくコミュニケーションがとれている?!
 


 奥平さんが移動すると、自転車で一緒についてきます。

奥平さんのお互い子供たちも楽しそう。
子供たちが素朴でカワイイわ。
最後は、紛争被害者の記念館に行きました。
残念ながらここは階段で、奥平さんも1日中車いすを運転していて疲れてしまったので、
外で待つことにしました。

中の様子はこんな感じ
 なにも知らずに行ったら「のどかな田舎町だったな」としか思わなかったと思います。
いろんな説明を聞いていく中で、グラナダの町に紛争が起こって、大変な思いしながら復興していったのだと思いました。

 今日訪問したのはグラナダの中心部でしたが、グラナダエリアは広くて、こんな↑ところも含まれています。
何か手続きしようと思ったら、数時間馬に乗ってグラナダの中心部にある役所に来るそうです。

残念ながらグラナダの中心部では障害者の人に会うことはありませんでした。
もっと田舎のエリアに障害者の人はいると思う、と被害者ユニットの人が言ってました。
そういう人を探していくことから、このプロジェクトは始まります。

                       ☆今回のおまけ☆

ついに奥平さんの家が決まりました~。
車いすで生活ができて、JICAの安全基準もクリアした家!!
18日にようやく引っ越しができました。
家具付きの家なのですが、引っ越しと同時に食器の数や家の備品が何がいくつあるか(ゴミ箱の数から、タオル掛け、鍋式まで)全部確認するインベンタリオという作業がありました。
あまりの確認の細かさに、奥平さんお疲れ・・。
 やっと荷物もほどいて、自分の家でリラックスできました~(^^)
1か月に引っ越し4回・・・。
ほんとに奥平さんお疲れ様でした。
これからはここで、生活ですね。
中村のお母さんも引っ越し大活躍でした


2015年4月22日水曜日

おれたち70%ボリビアーノ・ポトシ編


た)えー、こんばんはー。現在4月21日23時19分スークレのホテルにいます。
さ)今から初日に帰る感じ?
や)とりあえず誰も腹こわしてないよな。
さ)こわしてない
か)じゃあ初日から振り返っていきましょう。
さ)電波がなかったことって書くの?

あ)初日ってラパスから?
さ)何時間かかったん?29時間?
か)めっちゃ遠い
あ)遠かった
か)じゃ次写真?
た)何の写真?
か)え?JICA行ったことちゃうん?
あ)めちゃ書いてる、終わりくるんこれ?



た)15日の朝にラパスに着いてその午後にJICAボリビア事務所に行ったんよね
か)何したか簡単に言って、もう眠たいから
や)とりあえずモニカさんのやる気はひしひしと伝わって来たね
た)モニカさんはボリビア事務所の現地職員の人。昔からフェリーサといっしょに仕事をしてきててとても信頼してる。現状と今回の訪問の目的を説明した。
ま)マテ茶飲んだ。うまかった。
か)で、次移動?
ま)移動、翌日はポトシ
あ)スークレ一瞬やった。
















ま)ラパスからスークレに飛行機で行って着いたらそのままタクシーに乗せられたポトシまで行ったとさ、やなせ煙草吸う間もなかったとさ。ちなみに喫煙者ひとりだけなので、孤立感、半端なかったとさ

か)で、歓迎会、歓迎会行こう
あ)歓迎会、酸素薄かった〜あの部屋


さ)あ、この子おったんやー、歓迎会いたの気づかんかった〜。
ま)りんごの子?
さ)えー子やったな黄色い帽子、名前わからん
か)イエローハットでええんちゃうん
か)はい。誰か歓迎会の感想言って
や)とりあえず、シェフの話が長かった
さ)歌歌ってくれた「ようこそポトシへ万歳メインストリーム」みたいな
か)まあ気持ちは伝わったよね



あ)もうセミナー行こう
か)さていよいよ全国集会スタート、デモ行進からスタートやったっけ?


か)じゃ新井さんのコメント入れて。「この写真のじゃ、酸素の薄さと坂のきつさが伝わらないね」
ま)しんどかったとさ
た)マスコミ来てたね。全国ニュースに出たらしいよ。
あ)お昼のニュースに出たみたい。
ま)新聞も載ったとさ
か)つぎほんで名誉市民賞でいいんちゃうん、なかなかないで名誉市民賞もらうのって




た)で?セミナー会場に移動した?
あ)一番に着いたから心細かった。

















た)1日目は、アルミンダとガリがスークレとポトシの活動報告をやった。


た)新井さんトイレ行ったけど進めとくか。舞子ちゃんもう寝てるね。
や)電池切れたね。
か)明日はいよいよ。ぼくたちの出番。


た)まずぼくがコスタリカの話をした。
か)あのビデオがよかった。
さ)ルイスのね。
た)おれの話は?
か)自分の話だけ終わったらほっとしてた。
あ)めちゃ口数増えてた
ま)ギターの人みたいだった〜
あ)あの弾き語りみたいなの?
た)話と関係ないやん。

た)はい次
や)鍛冶いこ鍛冶


た)しまりのない顔の写真ばっかりやな〜
か)まあ話の内容よかったからいいんちゃうん。
あ・た・や)はい自画自賛!
た)まあよかったんちゃうかな
さ)よかったです。鍛冶せんせい。
か)会場の人ともやり取りできたからよかった。
た)運動の歴史みたいな話したんだよね。日本でもこんな時代があったってびっくりしてた。
か)川崎バス闘争の話とか、やっぱりインパクト大やったね。当事者だから訴えれることがあるってことを話した。
や)基本的にビデオ見て、子供殺した話して、バスの話して、新田さんの話して、歴史を追ってただけでしょ
ま)セックス?
た)新田さんの介助者が介助とセックスは同じって言ってた?
た)まいいか。次新井さん?



た)新井さんどうやった。
あ)自分史
た)よかったよね
ま)すごくよかった。
た)すごくよかったのどこがよかった?
ま)始めて聞いたインパクトがありました。
た)心に届いている感があったよね。
か)中途障害ならではの話がよかったんちゃうん


た)踊ったね〜。交流会。
か)歌も歌ったし
ま)上を向いて歩こう
あ)詩の朗読とかあったやん。鍛冶もててた
か)もててへんし
あ)取り合いやったやん。岡前ちゃんと〜、タリハと〜、クラウディア
ま)次の日ミゲル死んでました。


た)ちょっとインテリ風の写真あったから載せとくわ。この日は交渉の話から。これ佐藤さんがやってたコマやんか。えらくなったな〜鍛冶。
あ)どんな話でもやれるな〜って感心した。
か)新井さんやっぱりあの式典のときに挨拶するとか華があるな〜
た)その高め合いいる?


た)新井さんの自立生活プログラムの話し。
か)ええな〜。写真写りよくて
や)写真写り?
あ)褒めてへんやん
た)よかったんちゃうかな。介助たくさん使ってる人が話してるリアリティがあった。食いつきよかったよね。みんななんだかんだで介助使ってるから。
や)全体の流れもよかったよね。

か)全体的にどうよかったか言って
や)理念的なことから内容が具体的になっててよかった。

か)これっていいことしか書いたらあかんの?
た)いいや、別になんでもいいよ。
か)健常者の巻き込みとかあったらもっとよかったかな。



翌日午前中予定されていたCobopdiとの会議はキャンセル。空いた時間にガリたちにポトシの郷土料理を食べに連れて行ってもらいました。



ホテルに帰ってフェリーサ、ガリ、ヘラルド、アルミンダと会議。これでポトシのすべての予定を終了しました。(ただいま午前2時です〜。明日も早いです〜)