2013年10月31日木曜日

わては、オマールでおま!



わての名前はオマールでやんす。
31歳!1112日誕生日なんやで。

わては関西弁をしゃべるコロンビア人。5人兄弟の末っ子として生まれたんや。両親は生きております。出身地はコロンビアのブカラマンガちゅう首都のボゴタからめっちゃ離れてるところでんねん。
ボゴタに今年の211日から住んでいますねん。心理学者。修士もとってね、仕事でボゴタに引っ越してん。





これは、わての講演中の画像。ちゃんと訳してまっかー?



えとみん!わての話し、きいてまっか!?

わての話に戻るわな。お母さんは小学校の先生。不幸にもお母さんのクラスに入ったんや。お片付けしなくてものすごく怒られたことがある。集中できないというか落ち着きがない、好奇心いっぱい。サッカーやってたんやけど、骨折ったりしたけど、ええ選手やってん。プロになろうと思ったんやけどな~。酒は飲むしパーティはいきまくりやしほんでもってプロの道から離れてもうてん。(笑)
わては、バイクに乗っとったら事故ってもうてな(笑)。当時、家が田舎の方に別荘持っていて引っ越したんや。高校の10年生。通学が大変でバイクを買ってくれとしつこく言ってたんを思い出すわ~!


あ~!!テンションが上がってきた!!!




誰か、かわいい男の子おらへんな!?





めがねがごっついセクシー


この子もごっついセクシーなお顔。


まてよ~!話しがそれてしもうた。ごめん。ごめん。






わてはオマールでおま!
わての障害者になった話をちょっとするわ。酔っぱらってビューンとバイクに乗って赤でもノンストップでいってしもてん、覚えてんのは時速105kmになってこと。そんで気づいたら病院やったわ。背骨を折ったみたい。初めは泣いて部屋に閉じこもって、扱いにくい嫌な患者やったわ。



実はわて、男も好きやけど、女も大好きでやんす。

家で介助してもらうために看護師さんを雇うことになった。僕が面接して、可愛い人を雇ってんけど、親がおばあさんを雇ったんよ。結局辞めたけどな。

 
妻とは「障害者のぱあとなぁを見つける会」ていうインターネットサイトで出会った。2011年から同棲し始めた。イングリッドと言います。結構美人やで!写真を見たい人は声かけてな~。
でも、やってしもうてん。わても男やさかい。
わて、心理士の仕事をしてたんやけど、患者でごっついかわいい子がおって。つまみ食いしてもうたんや。
この浮気が妻にばれ、怒って実家に帰ってしもうた。。ネットで知り合った妻やから、実家が遠いんや。あわくってバスに12時間乗って追いかけた。大西洋側の海岸にあったので、暑かった。謝りに謝って、両親にも謝ったけど、許してもらえんかった。最後にビーチでおじさんが演奏する音楽をバックに謝ったんや。ついに彼女は笑ってもうた。で、この時、妻は僕を許してくれたんや。

 



 
なんやかんやで、わては、障害者になったからメインストリームのみんなと出会えたんや。
この仕事は、お金持ちになりませんでも、心がリッチになります。
 
わてはオマールでおま!
 
 
 

2013年10月25日金曜日

私、バルビィよ☆もうみんな知ってるわよね?もちろん!!

親愛なるメインストリーム協会のみなさま。ごきげんよう。
みなさま、とっくに知っているとは思うけど、改めましてペルーから来ましたバルバラです。



この衣装、素敵だとおもわなーい??

遠い遠い日本のみなさまからしたら、ペルーのイメージっていったら、やっぱりマチュピチュよね??
でしょでしょ?
そうだと思っていたわ。

この前、講演会をやった時に、それを見越して、このクスコ地域の民族衣装を着ていたのよ。

そうしたら、それがバッチリ大当たりでね!やっぱり、私の先を読む力はバッチリね!

あ、でも、みなさん勘違いなさらないでね。私はあんな田舎者とは違うわ。
生粋のリマっ子よ。リマっ子。日本で言ったら江戸っ子っていう感じかしらね。

リマ生まれのリマ育ちよ。

みなさまへのサービス☆のために着てあげたのよ。感謝しなさい!

ところで、誰か一緒に写真撮らない??こんな機会って滅多にないのよ。
もー!誰か私と一緒に写真撮りたい人はいないわけー?
もう!



あら?宇佐見。
よくわかっているようね。
こんな機会なかなかないんだから、一緒に写真撮ってあげるわ!光栄に思ってね。

あら、ちょっと脱線しすぎちゃったわ。ごめんなさい。

ちょっと私のこと書くわね。これを読んだら、ますます私のことが好きになるわよ♡

私は1983年12月7日生まれの、もうすぐ30歳よ。よくみんなからは、「えー!30歳には見えなーい!!」って言われているけれど、それもそのはず。

結構、メイクには気を使っているのよ。日本に来る前にアメリカで自立生活の研修を受けたんだけど、その時も、メイクのできない介助者でね。私がメイクの仕方を教えてあげたわよ!

あら、また脱線。

障害は、先天性のものだけど、進行性じゃないのよ。先天性多発性関節拘縮症というのよ。
6歳の時に、お医者様から「この子は長くは生きない」って言われたんだけど、母が「この子はちゃんと前を向いて生きるわ!!」と信じてくれてね。

そこから英才教育が始まったのよ。小学校に上がる前から読み書きはできたし、絵画の腕もかなりでね。コンクールにも出たのよー!ホホホー!

ま、私にとっては普通のことなんだけどね。たいしたことじゃないわ。

そんな感じで、何不自由なく暮らしてきたのよ。家も私が暮らしやすいように作ってくれたりしたしね。周りのみんなからはいつも愛されてね。
ほら、私って可愛いじゃない!ウフ♡

それに何着ても似合うのよ。体も小さくてスリムだし!


ほらさっきの民族衣装とは打って変わって、このカジュアルなカラーパンツもスウェットで着こなしちゃうのよ。

日本で流行ってるチェックの着こなしよ。その国の流行をおさえてるあたり、なかぬかやるでしょ。

それでね、なんでも似合うし、顔がかわいいから、みんなが私のこと着せ替え人形のバービーちゃんそっくり!って。それで、私の愛称はバルビィちゃん♡
ま、こんな説明されなくても、私の愛称を聞いただけでピンとくるわよね!
なぜなら、私は可愛いからー♡

また脱線。失礼しました。

小学校は、ドイツ人がやっている日本の養護学校のようなところに行っていたわ。そこでは、『転んでも自力で立ち上がる』ことを教えられたのよ。
先生達が「リマの道はガタガタだから、もし一人で街で車椅子から落ちたらどうする?誰かの助けがなければ上がれないようでは、自分が困るだけだろう!だから転んでも自分で這い上がって来るんだ!!」とか言われて、本当に這い上がっていたのよ。
私、今よりももっと素直だったから、その言葉を信じていたわ。

今となっては、「一人でやる自立なんてナンセンス。誰かに助けを求めたらいいのに」と思えるけど、その当時は本当に信じてがんばっていたのよね。
でも、おかげで、今の強い私が作られたんだけどね!

あら?強すぎる??

でも、女は強くないと。弱々しいのはノンノンノン!ダメよ!


その後は、普通学校に通いながらいろいろ勉強したのよ。経営とか、心理学とかね。そして、ドラッグやアルコール依存症の方の施設で働いたわね。けっこう長いこと働いていたのよ。
でも、ここ。男性が多い施設でね。
ほら、私のこの美貌でしょ?入所者を惑わせてしまっていたわ♡

そこで彼氏もできたし♡
私って罪作りなお♡ん♡な♡♡♡


そんなこんなをしているときに、ある日、ふと、「マスコミは障害者のことをきちんと伝えていない」と気が付いたのよ。そこから、マスコミや障害者のことを勉強して、マスコミを通して障害者の本当の姿を伝えようって決めたの。

それで、組織を立ち上げたわ。
『荒波と風に対抗して』って名前よ。

痺れる名前。
私のようでゾクゾクするわ。

私たちの目的は、ズバリ!
「障害者のエンパワメントと社会参画」よ。参加じゃダメ!参画して障害者も社会の中できちんと役割を担わないとね。そんなペルーを作るために日本に勉強しに来たのよ。



まだホームステイは一回しかできていなくて、これからなんだけど、そこで日本の女性障害者と意見交換をして、ペルーの女性障害者のために役立てたいと思っているわ。
なので、これから私のホームステイの方は私との意見交換を楽しみにしていてね。
それと、こんなに可愛い私と話をしたいという男性も大歓迎よ。

それと、下地大学にとても興味があるのよ。
あの大学、女性も入れるのかしら?
男性ばかりみたいだけど、過去には女性もいたと聞いたけれど…

それが本当なら、ぜひ入学したいわね!
障害者と夜のお話♡の関係性はとても大切なことなのよ。

あら、でも、男性が多い大学だと、また周りの人を惑わせてしまうかしら?
なぜなら、私はこんなにも可愛いから♡



それと、私はペルーでラジオDJもやってるのよ。ホホホー♡


私が載っている雑誌も持ってきているので、読みたかったら声かけてね。そう!私は有名人なのよ☆

ではでは、チャオチャオ〜♡♡♡

























2013年10月24日木曜日

コスタリカの魔女 カルラよ~

Hola!

コスタリカから来たカルラよ。
今日は私のことを紹介しちゃうわよ!



 私はコスタリカの首都サンホセにあるDITSUという自立生活センターのスタッフなの。
DITSUは昨年の研修生、カルロスとアレックスが帰国後に立ち上げた団体なのよ。
まだ設立して1年もたってないbebé(赤ちゃん)ね。

カルロスが自立生活センターをつくりたいと言ったときは興奮したわ。
ペレセレドンにあるmorphoに続いてラテンアメリカで2つ目の自立生活センターが
私の生まれ育った町サンホセにできるなんて、Muy Amazing!!
もちろん、すぐにメンバーに入ったわ。

その後、2月にはmorphoが開いたセミナーにDITSUのメンバーで参加して、
大ちゃん、まもる、ハタ、やまちゃん、ゆうこ、あおいちゃん、ザッキ-から自立生活運動を学んだのよ。


4月にはセニョール佐藤とヤナピーも事務所に来てくれたわ。
メンバーたくさんいるでしょ。
この後もめて、半分くらい出て行っちゃったんだけど。

morphoやメインストリームのメンバーの話を聞いていたら、
私もIL運動をやっていきたいと強く思うようになって、
今回JICAのプログラムに応募したの。


私は結構重度の障害があるので、乗り物にのるのは正直大変なの。
日本までのフライトは長いから、どんな姿勢を取ったらいいのか不安もいっぱいだったけど、
マリトゥルースの献身的な介助のおかげで
ついに、あこがれの日本にやってこれたわ!
大興奮!


メインストリームは噂に聞いていたとおり、とってもフレンドリー!
毎日昼間はIL運動を勉強し、夜はホームスティやご飯をたべてみんなと交流しているわ。
Muy Amazing!!


ここでちょっと私のことについて説明するわね。

生まれたときから、とっても綺麗で可愛い赤ちゃんでした。
祖母、父、母、姉、弟の6人家族だったの。
姉のグレーテルと弟のカルロスルイスと私の3人で三銃士ね。
一人はみんなのために、みんなは一人のために、よ!

3人兄弟の真ん中だから、サンドイッチでいうと具のところ。
一番美味しいところね。
日本とコスタリカのツートップ美人ね!
あら、るみもいるから、スリートップだったわ♡

弟は私と同じ障害だったの。
10歳年下だったんだけど、3年前に亡くなってしまったの。
呼吸器使っていて、大学にも行っていたわ。
彼はとっても大切な存在だった。
今でも私の心の中で生きているわ。


私の性格はとても社交的。
普通学校に行っていたんだけど、いつも私のまわりには友だちがいたわ。
学校帰りには、いつも友だちが家に遊びに来ていたの。
私の両隣にいるのは私が見つけた介助者よ。
美人でしょ?
セニョール佐藤とヤナピーはノリノリだったんだから。
学校は普通校に通っていたんだけど、建物は平屋だったわ。
段差にはスロープをつけてもらったの。

学校に行ってた頃は今より障害が軽かったから、
自分で字を書けていたの。
ノートとるのは得意で、健常者の子より早く書けていたわ。
友だちに「先生にもっとゆっくり字を書くように言ってよ」といわれていたくらいですのよ。


大学では心理学を学んだの。
メインストリームのケイジくんは私のことを魔女、魔女って言うんだけど、
そんなに魔女っぽいかしら?



大学卒業後8年間は、社会的リスクの高い人がいく学校で働いていたのよ。
活発な性格なのでいろんなグループに入って活動していたわ。
宣教師と一緒に過ごしたり、地区の障害者団体の代表もして、
バスに乗ったりデモをしたこともあるのよ。

将来は、勉強も続けたいし、旅行にも行きたい。
パートナーも欲しいわね。
まだ結婚してない人、よ・ろ・し・く・ね♡

性格ははっきりしていて、
ハグとキスの挨拶が大好き。
でも、日本人はみんなシャイだから、ケイジくんしかしてくれないの。
みんなどんどんきてね♡
カモーン!

自分史講演会の時にこれまでで一番恥ずかしかったことは?
って聞かれたんだけど、メッチャ酔っ払って、気がついたら病院のベッドの上だったことかな。

踊りは全然恥ずかしくなくて、なんならポールダンスもできまーす。
ホー!


彼氏はまだいないの。
好みのタイプは、
頭が良くて、ハンサムで、ユーモアがあって、背が高くて、
私のことを引っ張っていってくれる力強くて、お金持ちの人。

でもやっぱり、同じような人生のビジョンがある人がいいわ。
みんな、メインストリームのマモルを押してくるんだけど、
マモルは私にとって、熊のぬいぐるみ。
熊のぬいぐるみ

男は探して見つかるものではなく、いつか来るものだと思うの。
背が低かろうが太ってようが好きになるものなのよ。
好きになったら、私はその人を殺すような目つきで見るの。
私に睨まれたら、覚悟決めてね♡


日本人で好きな人いないのか?って良く聞かれるんだけど、
それはヒ・ミ・ツ★
大阪方面にいるかな~?
歓迎partyには大阪のムーブメントのメンバーが来てくれたの。
賢くてハンサムな人がいたわ。
帰るまでに大阪に行きたいな~

だから、マモルは熊のぬいぐるみなのよ。




障害者だったからつらい経験はある?
って聞かれたんだけど、あまりないの。
生まれつき障害者だから、障害が普通のこと。

障害があって幸せだと思っている。
障害があるから、戦おうという強い人間になれたんだと思うの。
コスタリカの2人の戦士

今回の研修で、日本でたくさん勉強して、体験して、交流して、
コスタリカに帰りたいと思っているの。
そして、サンホセで自立生活運動を力強く展開するわ。
来年2月にはコスタリカ初の全国セミナーをサンホセで開催するのよ。
頑張らなくっちゃ。
でも、私ならきっとできる。


ではみなさ~ん
マモル以外で、頭が良くて、ユーモアがあって、ハンサムで、背が高くて、
お金持ちの男性を紹介してね!




2013年10月20日日曜日

パラグアイのエンターテイナー・ノエ

こんにちは!オラ!記念すべき今年の中南米ブログ、一発目だよ!
私はパラグアイから、パチィの介助者としてやってきました。
マリア ノエリア トリゴ インスフラン です。
名前めっちゃ長いから『ノエ』とか『ノエちゃん』って呼んでね。
 


どれがわたしかわかるかな~?


右がわたしだよ~
コーヒー大好きなノエちゃん

左はコロンビアから来たオマールの介助者ホルヘ
 


なんかどっかで見たことある顔やなぁ



・・・気づいた???


あれ・・・?あれれれれ?左真ん中・・・


一年前の中南米研修生アドリ

そうだよ~!!
そっくりでしょ~~!!!
私たち、実の姉妹なんですーーー!!!!!

めっちゃ似てるって言われます。
今回、日本に介助者として来ることになったのも、お姉ちゃんアドリの紹介なんですよ。
もともとお姉ちゃんアドリとパチィが知り合いで、パチィに私を紹介してくれたのです。





このド派手な赤いTシャツきた人がパチィ
パチィについては、のちほど。

パチとはすでにめっちゃ仲良し



さんまパーティー楽しかったよ♪
右はニカラグアの研修生プチート
 


パラグアイでは、お母さん・アドリ・弟・息子と5人で暮らしてます。
仕事はね、病院の受付・事務をやってますよ。

もうみんなにバレちゃったから言うけど、私バツイチ!
前の旦那とは性格の不一致でわかれちゃったんよー。
でもね、ラファエルっていうめっちゃ男前な10歳の息子がいます。
一緒に住んでるよ。
私は今年30歳なんやけど、いい男探して、いつかまた結婚したいなぁ思ってます。

お姉ちゃんアドリもはよ自立してくれたらいいのになぁ。
私も、10歳の息子も、家ではいっつもアドリの介助やってるから、私が日本で学んだこと、お姉ちゃんにもう一回伝えたろ!
この研修、わくわくしてます。


わたし、まじめに見えるやろ?


わたしほんまはこんなんちゃうねん!!
内に秘めてるものは熱いんやで!!


体で表現したらこんな感じ



みんな今日は寝かさないぞ



あ、いったんしきりなおそ



ここからはもうノエちゃんの独り舞台



さらにヒートアップ


忘年会でてほしいわ
っていう声が聞こえてきそう


呼んでくれたらいつでも来るで!

 ね、エンターテイナーでしょ❤

お酒の相手もしたるがな




こんな陽気だけど、アイロンはちゃんとする

アイロン終わったよ
ほなまた、声かけてね!
他の研修生もよろしく~