HOLA!らち姉です。
ボリビアの全国集会のことがブログにあがってましたね~。
同じ南米大陸にメインストリームのメンバーがいるのかと思うと、なんだか不思議な気分です。
ここも空気薄いけど、ボリビアはもっと薄いんだよね。
みんな大丈夫かな~、って心配してたけど元気そうでよかった(^^)
さてさてこちらコロンビアでは、地方の関係者との打ち合わせと関係機関の見学に行きました。
行き先は、メデジンから車で2時間のところにあるグラナダという小さな町です。
奥平さんを含む専門家3名
ユニットの担当者 レイディーさん
通訳のホルヘさん
介助者 らち
合計6名で、向かいました。
道路は舗装されているとはいえ、よくガタガタゆれます。
到着したころには、すでに奥平さんは疲れている様子。。
奥平さん、大丈夫??
今回はリフト付きミニバスをチャーターしました。(って言っても、予約したのは上條さんですけど)
グラナダの市役所→
ここで打ち合わせ。
到着後、すぐに市役所で関係者と挨拶を
済ませてプロジェクトメンバーの紹介と活動内容を説明し、グラナダの活動状況を聞きました。
ここで今回のJICAのプロジェクトをよく知らない人のために、簡単なおさらい。
今回奥平さんがどうしてコロンビアに来たかといいますと、
JICAのプロジェクトのリーダーになったからです!!!
プロジェクトの名前は
『障害のある紛争被害者の
ソーシャルインクルージョンプロジェクト』
プロジェクト名ながっ!!そして、内容がよくわからん!!!
と思った人のためにわかりやすく解説します(^^)
コロンビアでは、国内でずっと争いがあったのは知っていますか?
政府と対立している非合法武装勢力(主に3つの組織)があります。
(1)左翼反政府ゲリラ
(コロンビア革命軍(FARC)、民族解放軍(ELN)、4 月19 日運動(M‐19)が存在)
(2)パラス(元軍人や元ゲリラ等武器の扱いに成熟したプロ)
(3)麻薬密造・密輸組織(いわゆる麻薬マフィア)
これらの組織が政府と争うだけでなく、組織と組織でも争いが絶えずあって、
身代金誘拐、襲撃、紛争等が40年とか50年も続いていました。
でも政府は国内で紛争があることをずっと認めませんでした。
政府が認めないということは、紛争で被害にあっても国からの補償がないってことです。
家族が殺されたり、家が奪われて住む場所がなくなっても、国は助けてくれないわけです。
でも1997年頃から「コロンビア国内に紛争が存在する」と政府が認めて、
被害にあった人には、国が補償するということが決まり、法律も作られました。
そして、それに対応する国の機関が作られました。それが、『被害者ユニット』です。
被害者ユニットは、身分証明部門や土地返還部門、教育部門など、担当分野が細かく分かれて活動しています。(たしか25部門に分かれていたはず)
そして今回のJICAのプロジェクトは、その紛争被害で障害者になった人(もともと障害者で、紛争被害にあった人も含む)に対して、行っていくものです。
紛争で障害者になった人は、他の人よりも社会復帰がより困難だったり、
社会から排除される状況があります。
そういう障害者をエンパワーしたり、インクルージョンすることで紛争被害にあったどんな人でも、また普通の生活ができるようにしてこう、というプロジェクトです。
そして、このプロジェクトは政府の作った「被害者ユニット」と連携して進めていくことになります。
今回の訪問先のグラナダも数年前に紛争があったエリアで、紛争被害者が多く存在する地域です。
グラナダ地域の紛争被害者の様子や、社会復帰のためにどのようなサービスがあるのかなどを聞くために来ました。
早速、会議が始まります。
この会議には、市長さん(一番奥に座っている男性)も参加していました。
会議の後、町の様子を見てまわることになりました。
このグラナダは坂が本当に多く、しかもかなり急な坂です。
この写真を見てもわかるように、町の中には急な坂道がいくつもあります。
これ、手動車いすだったら登れないんじゃないかとおもう。。。。
奥平さんはこの町のことを知っていたので(前に2回ほど来たことがあるそうです)
今回は電動車いすで来ました。
この↓写真をみると手前の建物がレンガつくりになっているのがわかるますよね?
(奥の建物は白なので、比較してみてください)
このレンガ造りになっている建物の場所は2000年に、もともとあったビルが紛争によって
爆破されて、立て直したものということでした。
建物の前に停めてあった車がいきなり爆発したそうです。
でもその日は休みの日で、ここら辺の人は郊外で休暇を過ごしていたため、
その時の爆発で亡くなった人はいなかったということでした。
それでも、暮らしていた家がいきなり無くなったら、そのあとの生活は大変だっただろうな。
町にある病院の中も見学させてもらえることになりました。
病室は基本的にすべて個室でした。
これ↓は処置室になります。
ここはレベル1(軽度)の人しか対応できません。
レベル2~4(中度~重度)にあたる人は、ここでは対応できないので、別の町の大きな病院に搬送することになるそうです。
グラナダから一番近くて大きな街ってメデジンになるんじゃないかな。
だとしたら、車で2時間はかかります。(田舎町なので、ヘリコプターとかはもちろん無いです)
重度の人にとって2時間は、生死にかかわってきますよね。
病院の見学が終わり通りに出ると、町の人が話しかけてくれました。
日本人、電動車いす、なんていうのがめずらしいんですって。
「何しに来たの?」と聞かれて、奥平さんがプロジェクトの説明をしていました。
おじいちゃん、うんうんってうなずきながら聞いていました。
次は、子供の心のケアを行っている団体を見学させてもらいました。
入ってみると奥に部屋が続いていて、細長いつくりになっています。
紛争被害によって両親や片親を亡くした子供が憎しみや怒りなどため込んで非行に走ったり、
仕返しのために武装組織に入ったりするのをくい止めるために、心のケアを中心に行っています。
子供は週に1回~2回ここにきて過ごすそうです。
今は、紛争被害にあった子供だけでなく、何かしらストレスを抱えている子供を受け入れていて、400人の子供が来ているそうです。
400人の子供が週に1回ずつ来たとしても、1日60人くらい。すごい数だな~。
しかもここで働いている人は全員ボランティアなんだって。
次は、被害者ユニットとJICAが一緒に仕事をする予定になる場所を見せてもらいました。
奥平さんに「車いすで使いにくいところはないですか?」「トイレは今のままで使えますか?」と
確認していました。
建物の入り口のスロープが狭く、段差があるので、それを解消してもらうように伝えました。
次回行ったときは、入りやすくなってるはずです(^^)
お昼ご飯を済ませたところに、地元のテレビ局の取材が来ました。
このプロジェクトのことを、地元の人に知ってもらういい機会になりました。
そのあとは、この町の女性の自立にも話が及び、
最近取り組みとして始めた、コーヒー販売について聞きました。
この地域で取れたコーヒーを町の女性たちが袋詰めにして、子供たちがパッケージのラベルをはさみで切り取って貼って、販売しているそうです。
毎週10キロの限定販売です。
すごく香りのいいコーヒーだったので、思わず「買いたいです!」って言って、買って帰ってきました。
事務所へのお土産にするので、気になる人は5月10日以降にメインストリーム協会に飲みに来てください。笑
外に出ると、さっきうろうろしていたのが噂になったのか、
子供たちが寄ってきました。
みんなスペイン語でいろいろ話しかけてくれます
「私、スペイン語で言われてもわかんないわよ~」
と言いつつ、子供たちに囲まれて嬉しそうな奥平さん。
「5月に来るよ」と片言のスペイン語でいうと
「うんうん、何日?」と何となくコミュニケーションがとれている?!
奥平さんが移動すると、自転車で一緒についてきます。
奥平さんのお互い子供たちも楽しそう。
子供たちが素朴でカワイイわ。
なにも知らずに行ったら「のどかな田舎町だったな」としか思わなかったと思います。
いろんな説明を聞いていく中で、グラナダの町に紛争が起こって、大変な思いしながら復興していったのだと思いました。
今日訪問したのはグラナダの中心部でしたが、グラナダエリアは広くて、こんな↑ところも含まれています。
何か手続きしようと思ったら、数時間馬に乗ってグラナダの中心部にある役所に来るそうです。
残念ながらグラナダの中心部では障害者の人に会うことはありませんでした。
もっと田舎のエリアに障害者の人はいると思う、と被害者ユニットの人が言ってました。
そういう人を探していくことから、このプロジェクトは始まります。
ついに奥平さんの家が決まりました~。
車いすで生活ができて、JICAの安全基準もクリアした家!!
18日にようやく引っ越しができました。
家具付きの家なのですが、引っ越しと同時に食器の数や家の備品が何がいくつあるか(ゴミ箱の数から、タオル掛け、鍋式まで)全部確認するインベンタリオという作業がありました。
やっと荷物もほどいて、自分の家でリラックスできました~(^^)
1か月に引っ越し4回・・・。
ほんとに奥平さんお疲れ様でした。
これからはここで、生活ですね。
ボリビアの全国集会のことがブログにあがってましたね~。
同じ南米大陸にメインストリームのメンバーがいるのかと思うと、なんだか不思議な気分です。
ここも空気薄いけど、ボリビアはもっと薄いんだよね。
みんな大丈夫かな~、って心配してたけど元気そうでよかった(^^)
さてさてこちらコロンビアでは、地方の関係者との打ち合わせと関係機関の見学に行きました。
行き先は、メデジンから車で2時間のところにあるグラナダという小さな町です。
奥平さんを含む専門家3名
ユニットの担当者 レイディーさん
通訳のホルヘさん
介助者 らち
合計6名で、向かいました。
道路は舗装されているとはいえ、よくガタガタゆれます。
到着したころには、すでに奥平さんは疲れている様子。。
奥平さん、大丈夫??
今回はリフト付きミニバスをチャーターしました。(って言っても、予約したのは上條さんですけど)
このリフト付きバスはメデジンに2台あるそうです。 |
ここで打ち合わせ。
到着後、すぐに市役所で関係者と挨拶を
済ませてプロジェクトメンバーの紹介と活動内容を説明し、グラナダの活動状況を聞きました。
ここで今回のJICAのプロジェクトをよく知らない人のために、簡単なおさらい。
今回奥平さんがどうしてコロンビアに来たかといいますと、
JICAのプロジェクトのリーダーになったからです!!!
プロジェクトの名前は
『障害のある紛争被害者の
ソーシャルインクルージョンプロジェクト』
プロジェクト名ながっ!!そして、内容がよくわからん!!!
と思った人のためにわかりやすく解説します(^^)
コロンビアでは、国内でずっと争いがあったのは知っていますか?
政府と対立している非合法武装勢力(主に3つの組織)があります。
(1)左翼反政府ゲリラ
(コロンビア革命軍(FARC)、民族解放軍(ELN)、4 月19 日運動(M‐19)が存在)
(2)パラス(元軍人や元ゲリラ等武器の扱いに成熟したプロ)
(3)麻薬密造・密輸組織(いわゆる麻薬マフィア)
これらの組織が政府と争うだけでなく、組織と組織でも争いが絶えずあって、
身代金誘拐、襲撃、紛争等が40年とか50年も続いていました。
でも政府は国内で紛争があることをずっと認めませんでした。
政府が認めないということは、紛争で被害にあっても国からの補償がないってことです。
家族が殺されたり、家が奪われて住む場所がなくなっても、国は助けてくれないわけです。
でも1997年頃から「コロンビア国内に紛争が存在する」と政府が認めて、
被害にあった人には、国が補償するということが決まり、法律も作られました。
そして、それに対応する国の機関が作られました。それが、『被害者ユニット』です。
被害者ユニットは、身分証明部門や土地返還部門、教育部門など、担当分野が細かく分かれて活動しています。(たしか25部門に分かれていたはず)
そして今回のJICAのプロジェクトは、その紛争被害で障害者になった人(もともと障害者で、紛争被害にあった人も含む)に対して、行っていくものです。
紛争で障害者になった人は、他の人よりも社会復帰がより困難だったり、
社会から排除される状況があります。
そういう障害者をエンパワーしたり、インクルージョンすることで紛争被害にあったどんな人でも、また普通の生活ができるようにしてこう、というプロジェクトです。
そして、このプロジェクトは政府の作った「被害者ユニット」と連携して進めていくことになります。
今回の訪問先のグラナダも数年前に紛争があったエリアで、紛争被害者が多く存在する地域です。
グラナダ地域の紛争被害者の様子や、社会復帰のためにどのようなサービスがあるのかなどを聞くために来ました。
早速、会議が始まります。
この会議には、市長さん(一番奥に座っている男性)も参加していました。
この写真では見えていませんが、奥平さんお気に入りのホルヘさんが通訳で来ています。同時通訳ってすごいね~。 |
このグラナダは坂が本当に多く、しかもかなり急な坂です。
えげつない坂道。歩道は歩道っていうより、階段。。。。。 |
これ、手動車いすだったら登れないんじゃないかとおもう。。。。
奥平さんはこの町のことを知っていたので(前に2回ほど来たことがあるそうです)
今回は電動車いすで来ました。
この↓写真をみると手前の建物がレンガつくりになっているのがわかるますよね?
(奥の建物は白なので、比較してみてください)
このレンガ造りになっている建物の場所は2000年に、もともとあったビルが紛争によって
爆破されて、立て直したものということでした。
建物の前に停めてあった車がいきなり爆発したそうです。
でもその日は休みの日で、ここら辺の人は郊外で休暇を過ごしていたため、
その時の爆発で亡くなった人はいなかったということでした。
それでも、暮らしていた家がいきなり無くなったら、そのあとの生活は大変だっただろうな。
町にある病院の中も見学させてもらえることになりました。
これ↓は処置室になります。
ここはレベル1(軽度)の人しか対応できません。
レベル2~4(中度~重度)にあたる人は、ここでは対応できないので、別の町の大きな病院に搬送することになるそうです。
グラナダから一番近くて大きな街ってメデジンになるんじゃないかな。
だとしたら、車で2時間はかかります。(田舎町なので、ヘリコプターとかはもちろん無いです)
重度の人にとって2時間は、生死にかかわってきますよね。
病院の見学が終わり通りに出ると、町の人が話しかけてくれました。
日本人、電動車いす、なんていうのがめずらしいんですって。
「何しに来たの?」と聞かれて、奥平さんがプロジェクトの説明をしていました。
おじいちゃん、うんうんってうなずきながら聞いていました。
次は、子供の心のケアを行っている団体を見学させてもらいました。
電動車椅子を降りて、細い道を渡ります。奥平さん落ちんといてね |
紛争被害によって両親や片親を亡くした子供が憎しみや怒りなどため込んで非行に走ったり、
仕返しのために武装組織に入ったりするのをくい止めるために、心のケアを中心に行っています。
子供は週に1回~2回ここにきて過ごすそうです。
今は、紛争被害にあった子供だけでなく、何かしらストレスを抱えている子供を受け入れていて、400人の子供が来ているそうです。
400人の子供が週に1回ずつ来たとしても、1日60人くらい。すごい数だな~。
しかもここで働いている人は全員ボランティアなんだって。
次は、被害者ユニットとJICAが一緒に仕事をする予定になる場所を見せてもらいました。
奥平さんに「車いすで使いにくいところはないですか?」「トイレは今のままで使えますか?」と
確認していました。
建物の入り口のスロープが狭く、段差があるので、それを解消してもらうように伝えました。
次回行ったときは、入りやすくなってるはずです(^^)
お昼ご飯を済ませたところに、地元のテレビ局の取材が来ました。
このプロジェクトのことを、地元の人に知ってもらういい機会になりました。
そのあとは、この町の女性の自立にも話が及び、
最近取り組みとして始めた、コーヒー販売について聞きました。
この地域で取れたコーヒーを町の女性たちが袋詰めにして、子供たちがパッケージのラベルをはさみで切り取って貼って、販売しているそうです。
毎週10キロの限定販売です。
すごく香りのいいコーヒーだったので、思わず「買いたいです!」って言って、買って帰ってきました。
事務所へのお土産にするので、気になる人は5月10日以降にメインストリーム協会に飲みに来てください。笑
グラナダで生産しているものを説明してくれました |
子供たちが寄ってきました。
みんなスペイン語でいろいろ話しかけてくれます
「私、スペイン語で言われてもわかんないわよ~」
と言いつつ、子供たちに囲まれて嬉しそうな奥平さん。
「5月に来るよ」と片言のスペイン語でいうと
「うんうん、何日?」と何となくコミュニケーションがとれている?!
奥平さんが移動すると、自転車で一緒についてきます。
奥平さんのお互い子供たちも楽しそう。
子供たちが素朴でカワイイわ。
最後は、紛争被害者の記念館に行きました。
残念ながらここは階段で、奥平さんも1日中車いすを運転していて疲れてしまったので、
外で待つことにしました。
中の様子はこんな感じ |
いろんな説明を聞いていく中で、グラナダの町に紛争が起こって、大変な思いしながら復興していったのだと思いました。
今日訪問したのはグラナダの中心部でしたが、グラナダエリアは広くて、こんな↑ところも含まれています。
何か手続きしようと思ったら、数時間馬に乗ってグラナダの中心部にある役所に来るそうです。
残念ながらグラナダの中心部では障害者の人に会うことはありませんでした。
もっと田舎のエリアに障害者の人はいると思う、と被害者ユニットの人が言ってました。
そういう人を探していくことから、このプロジェクトは始まります。
☆今回のおまけ☆
ついに奥平さんの家が決まりました~。
車いすで生活ができて、JICAの安全基準もクリアした家!!
18日にようやく引っ越しができました。
家具付きの家なのですが、引っ越しと同時に食器の数や家の備品が何がいくつあるか(ゴミ箱の数から、タオル掛け、鍋式まで)全部確認するインベンタリオという作業がありました。
あまりの確認の細かさに、奥平さんお疲れ・・。 |
1か月に引っ越し4回・・・。
ほんとに奥平さんお疲れ様でした。
これからはここで、生活ですね。
中村のお母さんも引っ越し大活躍でした |
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