2012年10月3日水曜日

オラ!おらはロサだべ。



オラ!おらのなめぇは、 ロサ だす。ニカラグアがらきますた。
まず、はずめに、おらのことをちょっくらしゃべろうかと思います。

後ろの人っこ、気になるべども、あどでしゃべるから 待っててたんせ。

中学校4年生の時に、すったげ高けぇ熱が出て、体が全く動かなくなっただよ。それで、いろんな病院をあっちに行ったりこっちに行ったり、たらいまわしにされて1年半、もったりまげたりだったんだな。んで、結局首都のレオン県さある病院に戻ってきたんだども、リハビリにたいした時間がかがってしまって、2年半も経ってしまったらずよ。

25歳さなった時に、キューバの病院の医者様にギランバレー症候群と診断されただ。

そこから、ほんとは心理学を勉強してがったども、コンピューターを勉強することにしただ。

その後、また発病して、今度は東洋医学「針」治療をして、全身が針まみれになって、まるでハリネズミのようだったらずよ。

こったら感じだな。めんけぇハリネズミだな~。
 
 
左が今回の介助者、ゴルドン。


 
 
おらとゴルドンは、2009年に、日本さ来だったホセアントニオの紹介で出会っただよ。ホセアントニオは、その当時いた団体ADIFIMを辞めて(辞めさせられて!?)新しく団体を立ち上げただ。おらはそのメンバーで、ゴルドンもADIFIMを辞めて、新しく作った団体さ来てくれただ。

そして、今回一緒に日本に来る事さなっただ。




日本で、自立生活運動をしこたま勉強して、ニカラグアに帰ったらニカラグアの障害者観さ変えて、
平等な世の中を目指すだ!どんな重度な障害があっても「生きてていがった!」と思える社会さ変えていきたいだ。それがおらの夢だし使命だと思ってるだ。


後ろの痩せこけたぼっこは、「きりやん」というアシステンテというらしいけど、いぎなりおらの肩をもみだして、すったげビビったけれど、心もほぐれたし肩もほぐれただわ。



これは、新井優子さんのえ(家)さホームステイに行ったんだども、優子はアシステンテをつけぇながら、一人暮らしをしていただ。アシステンテを手足のように使ったり、時には秘書のように使っていたりで、その様子を見てすったげたまげただ!!

私の伝道師、廉田さんもしゃべっていたように、みんなは一人で生きていると錯覚しているべ。みんなは自分一人でやっていると思ってることも、実は一人ではねんだ。例えば、一人で電車に乗って映画さ行ったどしても、電車を運転してくれる運転士がいて、映画を上映してくれる技師がいて…しゃべりだしたらきりがないくらいのたくさんの人が「一人で映画さ行く」ために動いているだよ。これって障害者が介助を使って生きていくこととどう違げぇのかと考えだら、結局は同じことなんだべな。

ちなみに、このTシャツの人は亡くなった友人です。わりぃな。悲しまへるごど書いて。


日本て、なんて自由なんだべか。今日だばマクドナルドさ行ぐべかなと思ってるだ。



日本のマクドナルドは、すったげうめぇな~。日本がすげぇんだかマクドナルドがすげぇんだか、分がんね。なんでって?なんでならニカラグアのマクドナルドとおんなじ味だ。



なんで日本が自由かというと…おらはニカラグアで家族みんなで住んでるだ。お父お母と、兄弟3人で、15歳の姪っ子が私の世話をしてくれているだ。お母は、しこたま過保護で、恋愛が禁止だっただ。でも、こそ~とやることはやってあったどもな(笑)

ちなみにニカラグアでは先生みでったことをしていて、わらしっこがたに読み書きを教えていて、その他に歯科技工士の仕事もしていただ。
ちなみに、廉田さんも歯科技工士の仕事を勧められたってしゃべっていたな~。

こんなのを作ってただ。
こんなのもあるだ。
 
もっと写真を見せてぇども 、これ以上やってたら歯科技工士の講習会みてぐなってしまうから、これでやめておぐわ。
 
ちょっこっと話を戻すども、ニカラグアでは恋愛禁止だったども、日本の活動家のこのお方♡
 
 
 
 
聡に愛を注いでしまいそうだわ♡
 
 

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